10月26日(水)、エレナと最後の夕食会を、料亭「いばら木」にて行う。

彼女が、ダイバーシティメディア(旧ケーブルテレビ山形)に入社したのが、昨年の2015年の10月1日であったが、僅か1年で退社するとは、彼女自身も会社側も、予測すらできなかった。



ラトビアにいる、エレナのお母さんの体調が思わしくなく、家族との話し合いの結果、帰国することになったのだ。

10月末日付で退社である。

とても残念でならない。



この日、エレナが初めて食べる「フグ料理」で、お別れの晩餐会。


同じ制作部からは、鈴木皓大部長とアナウンサートップの鈴木淳予が参加し、初めてラトビアの家族のことや、退社に至る経緯を聞き、エレナの心情を話してもらった。



初めてエレナ・ストルコヴァと出会ったのは、2015年2月11日である。

霞城ライオンズクラブの、第6回山形県留学生スピーチコンテストで優勝したときである。

彼女がスピーチは、群を抜いていた。

他の多くの留学生が、日本の良いところや、日本と自国の比較をしていた。

しかし、エレナは、「平和」とは何だろう?
「幸せ」とは何だろう?
という視点でスピーチをしていた。

幼き頃の、ソ連からのラトビアの独立、そして紛争。

今までは、同じ国の仲間だったロシア人とラトビア人の揉め事が、まだ小さかったエレナの心に突き刺さり、「平和とは?」「幸せとは?」のきっかけになる。

他の参加者は、原稿を暗記してスピーチしていたが、エレナは違っていた。

本当に、話したいことを話していたのだ。

当時のスピーチコンテストで、たまたま自分は審査委員で、エレナへの質問者だった為、「将来は、どんな職業に就くのですか?夢はありますか?」と聞いた。

エレナは、「国際的なジャーナリストになりたい。」と答えたのである。

コンテストの後のパーティーで、ライオンズクラブの重鎮の吉田金物店の吉田会長は、「ケーブルテレビ山形に就職できないか?」とおっしゃられたので、自分も、世界を知る前に、先ずは地方の山形県を知るところから始め、東北を知り、日本を知り、母国を知り、EUを知っていくという階段を準備した。

山形県EU協会の長谷川吉茂会長の勉強会にもつれていったり、映画監督のヤンヨンヒや、吉本興業のメンバーとも会わせた。

道半ば、とても残念であるし、本人も忸怩たる思い出あったろう。

また、チャンスがあれば、山形にまた来ることも話し合った。



フグの鉄刺…薄く切った刺身である。



エレナは、フグが初体験。



フグの唐揚げも食べる。



そして、ふぐちり。




淳予アナウンサーが、みんなによそってくれる。



制作部の二人の部長。

皓大部長も、とても残念がっていた。



しかし、惜しい。

エレナが、日本に興味を持ったのは、多くの留学生が言う、アニメやアニソンではない。

川端康成の「雪国」なのだから驚くし、そのスキルとポテンシャルの高さが垣間見える。






料亭「いばら木」のフグ雑炊には、餅が入っていて美味しい。

芳ばしいのである。



デザートは、柿と胡麻のアイスクリーム。

様々なことを話ながら、残念さが滲み、これもいたしかたないと、思った。



可能であれば、まだまだ、国際的なジャーナリストを諦めずに、再チャレンジをして欲しいと、心から思うのである。

しかし、先ずは、お母さんの病気の克服。

早く回復するように、祈念したい。

短い間だったが、エレナと出会えて、とても良かったと思う。

お元気で。
さようなら。