8月5日(金)、妻の母、義母新関総子(享年82歳)の火葬、葬儀、五七日忌、御伽を執り行った。

多くの方々から参列、ご会葬、ご厚志を賜り、心より御礼申し上げる。

特に、市川昭男前山形市長、舟山やすえ参議院議員、斉藤淳一前山形市議会議長、吉村美栄子知事がコロラドの為に高橋後援会事務局長、私の会社や学校関係者、経済界や友人など、お忙しい中、約250名の皆さんから足を運んでいただいた。

重ねて感謝申し上げたい。











喪主で義兄の新関徳次郎の挨拶は、手前みそであるが、義母の生きる姿勢をしっかり表現していて、とても感動した。

「とても働き者だった母。
父親が亡くなった後は、女手ひとつで子ども3人を育てた。
いつも工場でスコップをもっていた。」

そして、子どもたち、孫たちの名前を一人ずつ読み上げ、「母のように、いつでもスコップを持ち、一生懸命働き生き抜いてほしい!」と話した。


その前日、8月4日(木)の夜は通夜であった。

自分は、ムービーオンで、「永野さんとΩ(オメガ)を観よう!」のイベントが終わり、急いで駆けつけた。







尊い人の命が天に昇って行くと、家族や親戚、友人や近所の仲間たちの、心にぽっかりと穴が開く。

近ければ近いほどその穴は大きい。

たぶん、その穴は、けして塞がらない。
塞がるわけがないのである。


だから、その穴を「そのままにして」、良い思い出も、悲しく辛い思い出も、持ちながら生きていく術を知って行くのである。


それが「喪の仕事」というものであろう。

これから、自分たちも含めて、義母の思い出を、心に刻み生きていく。


かえすがえすも、この度の葬儀関係に対して、多くの方々のお気持ちが、義母を天へ導いて下さると、信じて止まないのである。

重ねて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。