いつの時代も、山形の料亭文化の中心に在った、「のノ村」が、この6月30日(木)で、長き歴史を閉じる。

初代、野々村政太郎氏は明治6年「野々村屋」を、現山形地方裁判所の場所に開業する。

明治9年、県庁舎(現文翔館)新築のため、現在の「四山楼」の場所に移転し、明治39年、現大手門パルズの場所に、山形ホテルをオープンする。

明治41年には、「四山楼」を手放す。

大正12年、野々村ちう氏により、のノ村」が再建される。



当代の野々村政昭氏からは、公私ともに、お世話になっており、今回の閉館のお話を耳にした時は、何とかならないだろうか?と、残念で堪らなかった。

ご本人、ご家族のお気持ちは、約130余年の歴史を刻む老舗料亭の閉館のご決断は、忸怩たる思いであり、哀しみの中での選択であられたと、推察するところである。



自分の弟と、政昭氏のご長女が同級生であり、自分の両親と政昭氏ご夫妻も親しく、両親も度々利用していた。

また、自分が山形県興行生活衛生同業組合の理事長に就任してからは、全11組合で組成している「指導センター」のセンター長として、生活衛生11団体の牽引約を務められており、大変お世話になっている。

また、自分の友人の映画監督の行定勲氏、プロデューサーの古賀俊輔氏、ホリエモンこと堀江貴史氏、東宝や東映の幹部役員の皆さんなど、多くの方々が感銘を受けた老舗料亭であった。







6月8日(水)の夜、ダイバーシティメディアの常勤取締役5人と、いつも野々村氏が行かれている店の方たちと、老舗料亭「のノ村」の、初夏の風情に触れながら、最後の時間を過ごしに伺う。

6月いっぱい、予約はもう取れず、この日を予約していて良かったと思った。














この日は、スズキのお造りや、月山筍の肉巻き、鮭の焼き物など、とても美味しくいただく。

「山形の食の甲子園」などの番組を担当した伊藤浩も同席させた。







アワビ、鯵のなめろう、庄内牡蠣など、老舗料亭の醍醐味を満喫させていただく。





本当に、野々村さん、奥さん、ミチコちゃんからは、お世話になり、感謝である。

この夜、とても素晴らしい思い出を刻むことができたのであった。

最後に、山形の蕎麦と、熊本のスイカをいただき、料亭を後にした…。