金澤篤志氏と、初めて会ったのは、まだ雪が溶けきっていない、春の足音が聴こえてきた頃だったと記憶している。

プロのスポーツチームを、それもメジャースポーツであるバスケットボールの運営責任を負う社長として、暗中模索、視界ゼロメートルという心理状況だった。

自分の持ちうるアイテムとしては、様々な会社を設立し経営してきた経験、モンテディオ山形の経営に関わった経験、父親が山形県バスケットボール協会の会長だった時の人脈、スタッフのサポートなどであった。

でも、「必ず成功させる!」という信念、志し、情熱が、何よりも優る武器であったと思う。

そんな自分が、当初、最も信頼したのが金澤ヘッドコーチであった。

彼との出会いは、当時の自分にとって、チームを任せられる志し高き若武者のように写ったのである。






今週の5月24日(火)に撮影した、パスラボ山形ワイヴァンズの選手達とのラストショット。

彼の口から、初めて選手達に、辞めることと、これからの期待を語った。

自分は、最後に、これからの金澤篤志氏の幸せを祈り、握手をする。


2年前…。

2014年の6月1日、金澤篤志氏の、パスラボ山形ワイヴァンズのヘッドコーチ就任記者会見。

金澤ヘッドコーチは、あの「山形に骨を埋める覚悟で挑む!」という名文句を残した会見である。



自分としては、金澤ヘッドコーチの、真面目さや、義理堅さを重んじ、また、山形らしいチームづくりや、パスラボのポリシーへの共感を、採用と就任の理由とした。



いよいよ、金澤丸の出航である。

「ドリーム・オーバー・ザ・ドリーム」







初めてのプロ参戦の、2014‐2015シーズンは、試運転的な状況であったが、勝つことよりも、定着啓蒙的なことを重視したシーズンだった。


「愛されるチーム」を掲げたが、まさに、負けても応援に来てくれるチームになっていき、最終戦は、3000人を越える人が、会場へ駆けつけてくださった。



初めてのシーズン終了の打ち上げ。

ニックや鳴海が、まだいた時である。




そして、2015‐2016シーズンは、快進撃が続くが、怪我や不祥事が続き、戦力不足だった。



しかし、パスラボ山形ワイヴァンズは、補強もあり、復活し、優勝争いに絡んでいく。

今シーズンは、「愛されるチーム」だけではなく、「勝つチーム」を模索し続けたのである。






最終戦までは、次第にヒートアップ!

ファンやブースターが、後押しをしてくれた。

そして、金澤ヘッドコーチは、プレイオフ進出を達成してくれたのである。

まだ、2年目のチームである。

そんな中、よく、がんばってくれた。



2シーズン目の打ち上げ。
皆が笑顔だった。



そして、ファン感謝デイ!

この時は、まだ、金澤ヘッドコーチは、パスラボ山形ワイヴァンズに残留し、これからの指揮もとる予定であったが…。


昨年産まれたばかりの、金澤ヘッドコーチの子どもさん。

まずは、県外にいる家族と一緒に暮らすことを最優先に考えていた金澤コーチ。


人は、様々な決断があっていいと思う。

だから、今回、残念だけれども、彼の思いを尊重したのである。


2年間、ありがとう!

心より、感謝と御礼を申し上げたい。