金澤篤志氏と、初めて会ったのは、まだ雪が溶けきっていない、春の足音が聴こえてきた頃だったと記憶している。
プロのスポーツチームを、それもメジャースポーツであるバスケットボールの運営責任を負う社長として、暗中模索、視界ゼロメートルという心理状況だった。
自分の持ちうるアイテムとしては、様々な会社を設立し経営してきた経験、モンテディオ山形の経営に関わった経験、父親が山形県バスケットボール協会の会長だった時の人脈、スタッフのサポートなどであった。
でも、「必ず成功させる!」という信念、志し、情熱が、何よりも優る武器であったと思う。
そんな自分が、当初、最も信頼したのが金澤ヘッドコーチであった。
彼との出会いは、当時の自分にとって、チームを任せられる志し高き若武者のように写ったのである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/98/d6/j/o0800053313658200033.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/7a/92/j/o0800053313658200037.jpg?caw=800)
今週の5月24日(火)に撮影した、パスラボ山形ワイヴァンズの選手達とのラストショット。
彼の口から、初めて選手達に、辞めることと、これからの期待を語った。
自分は、最後に、これからの金澤篤志氏の幸せを祈り、握手をする。
2年前…。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/2d/d3/j/o0800061313658200041.jpg?caw=800)
2014年の6月1日、金澤篤志氏の、パスラボ山形ワイヴァンズのヘッドコーチ就任記者会見。
金澤ヘッドコーチは、あの「山形に骨を埋める覚悟で挑む!」という名文句を残した会見である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/ac/84/j/o0640048013658200043.jpg?caw=800)
自分としては、金澤ヘッドコーチの、真面目さや、義理堅さを重んじ、また、山形らしいチームづくりや、パスラボのポリシーへの共感を、採用と就任の理由とした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/2c/48/j/o0800053313658200046.jpg?caw=800)
いよいよ、金澤丸の出航である。
「ドリーム・オーバー・ザ・ドリーム」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/61/77/j/o0800055313658200048.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/cb/a2/j/o0800053313658200057.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/ad/3c/j/o0800053313658200063.jpg?caw=800)
初めてのプロ参戦の、2014‐2015シーズンは、試運転的な状況であったが、勝つことよりも、定着啓蒙的なことを重視したシーズンだった。
「愛されるチーム」を掲げたが、まさに、負けても応援に来てくれるチームになっていき、最終戦は、3000人を越える人が、会場へ駆けつけてくださった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/4e/0f/j/o0800060013658200070.jpg?caw=800)
初めてのシーズン終了の打ち上げ。
ニックや鳴海が、まだいた時である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/94/70/j/o0640048013658200075.jpg?caw=800)
そして、2015‐2016シーズンは、快進撃が続くが、怪我や不祥事が続き、戦力不足だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/a9/5b/j/o0800053313658200086.jpg?caw=800)
しかし、パスラボ山形ワイヴァンズは、補強もあり、復活し、優勝争いに絡んでいく。
今シーズンは、「愛されるチーム」だけではなく、「勝つチーム」を模索し続けたのである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/c6/3c/j/o0800053313658200092.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/32/10/j/o0800053313658200102.jpg?caw=800)
最終戦までは、次第にヒートアップ!
ファンやブースターが、後押しをしてくれた。
そして、金澤ヘッドコーチは、プレイオフ進出を達成してくれたのである。
まだ、2年目のチームである。
そんな中、よく、がんばってくれた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/78/7e/j/o0640096013658200107.jpg?caw=800)
2シーズン目の打ち上げ。
皆が笑顔だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/a3/f7/j/o0800053313658200115.jpg?caw=800)
そして、ファン感謝デイ!
この時は、まだ、金澤ヘッドコーチは、パスラボ山形ワイヴァンズに残留し、これからの指揮もとる予定であったが…。
昨年産まれたばかりの、金澤ヘッドコーチの子どもさん。
まずは、県外にいる家族と一緒に暮らすことを最優先に考えていた金澤コーチ。
人は、様々な決断があっていいと思う。
だから、今回、残念だけれども、彼の思いを尊重したのである。
2年間、ありがとう!
心より、感謝と御礼を申し上げたい。
プロのスポーツチームを、それもメジャースポーツであるバスケットボールの運営責任を負う社長として、暗中模索、視界ゼロメートルという心理状況だった。
自分の持ちうるアイテムとしては、様々な会社を設立し経営してきた経験、モンテディオ山形の経営に関わった経験、父親が山形県バスケットボール協会の会長だった時の人脈、スタッフのサポートなどであった。
でも、「必ず成功させる!」という信念、志し、情熱が、何よりも優る武器であったと思う。
そんな自分が、当初、最も信頼したのが金澤ヘッドコーチであった。
彼との出会いは、当時の自分にとって、チームを任せられる志し高き若武者のように写ったのである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/98/d6/j/o0800053313658200033.jpg?caw=800)
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今週の5月24日(火)に撮影した、パスラボ山形ワイヴァンズの選手達とのラストショット。
彼の口から、初めて選手達に、辞めることと、これからの期待を語った。
自分は、最後に、これからの金澤篤志氏の幸せを祈り、握手をする。
2年前…。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/2d/d3/j/o0800061313658200041.jpg?caw=800)
2014年の6月1日、金澤篤志氏の、パスラボ山形ワイヴァンズのヘッドコーチ就任記者会見。
金澤ヘッドコーチは、あの「山形に骨を埋める覚悟で挑む!」という名文句を残した会見である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/ac/84/j/o0640048013658200043.jpg?caw=800)
自分としては、金澤ヘッドコーチの、真面目さや、義理堅さを重んじ、また、山形らしいチームづくりや、パスラボのポリシーへの共感を、採用と就任の理由とした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/2c/48/j/o0800053313658200046.jpg?caw=800)
いよいよ、金澤丸の出航である。
「ドリーム・オーバー・ザ・ドリーム」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/61/77/j/o0800055313658200048.jpg?caw=800)
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初めてのプロ参戦の、2014‐2015シーズンは、試運転的な状況であったが、勝つことよりも、定着啓蒙的なことを重視したシーズンだった。
「愛されるチーム」を掲げたが、まさに、負けても応援に来てくれるチームになっていき、最終戦は、3000人を越える人が、会場へ駆けつけてくださった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/4e/0f/j/o0800060013658200070.jpg?caw=800)
初めてのシーズン終了の打ち上げ。
ニックや鳴海が、まだいた時である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/94/70/j/o0640048013658200075.jpg?caw=800)
そして、2015‐2016シーズンは、快進撃が続くが、怪我や不祥事が続き、戦力不足だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/a9/5b/j/o0800053313658200086.jpg?caw=800)
しかし、パスラボ山形ワイヴァンズは、補強もあり、復活し、優勝争いに絡んでいく。
今シーズンは、「愛されるチーム」だけではなく、「勝つチーム」を模索し続けたのである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/c6/3c/j/o0800053313658200092.jpg?caw=800)
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最終戦までは、次第にヒートアップ!
ファンやブースターが、後押しをしてくれた。
そして、金澤ヘッドコーチは、プレイオフ進出を達成してくれたのである。
まだ、2年目のチームである。
そんな中、よく、がんばってくれた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/78/7e/j/o0640096013658200107.jpg?caw=800)
2シーズン目の打ち上げ。
皆が笑顔だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160529/02/stokimori/a3/f7/j/o0800053313658200115.jpg?caw=800)
そして、ファン感謝デイ!
この時は、まだ、金澤ヘッドコーチは、パスラボ山形ワイヴァンズに残留し、これからの指揮もとる予定であったが…。
昨年産まれたばかりの、金澤ヘッドコーチの子どもさん。
まずは、県外にいる家族と一緒に暮らすことを最優先に考えていた金澤コーチ。
人は、様々な決断があっていいと思う。
だから、今回、残念だけれども、彼の思いを尊重したのである。
2年間、ありがとう!
心より、感謝と御礼を申し上げたい。