中学3年生の時、15歳で結成。

主に、「かぐや姫」や「風」のコピーをしていた。

しかし、彼らが高校に入ると、オリジナル曲を量産する。


フォークから、矢沢永吉のロックンロールやバラード、アメリカン・グラフティ等の1950年代の曲にも影響を受ける。



小さい方が、ボーカルとサイドギター。
大きい方が、リードギター。

ちょうど、小さい方が山形南高校へ、大きい方が山形東高校へ、進学が決まり、小さい会場で、ライブをしていた頃の写真だと思う。


高校2年生の夏と、3年生に上がる春に、最後のライブ。

お互い進学高だったので、高校3年生の間は、活動を控えようと決めていたのだ。






山形市民会館小ホールが、立ち見も出る満席になった、高校3年生になる前の春休みの最後のライブ。




「かぐや姫」や「風」のコピーや、数曲オリジナルだったかな…。

2部構成で、1部がストリングス、ピアノ、エレキ、ドラム、ベースが入ったと思う。

2部が、「季節風」の二人のギターのセッションだけでやった。



相方の愛称は、センパイ。(同じ歳なのだが、何故かセンパイに見えてしまう落ち着きが当時はあった)



アンコールがあり、最後に歌った曲は…「お前だけが」だった。





これは、高校2年生の夏の終わり頃のライブだと思う。

この時も、席は満席。

あの頃は、まだ、オリジナルバンドなんか、山形では少なかったと思う。

でも、仲間達が、一生懸命にチケットを売ってくれた。

そんな、各高校の仲間達が、みんな協力してくれた、まるで、山形市の高校全体の文化祭みたいな感じだった。

歌うのは、山形東や山形南や日大山形、ポスターは山形商業、チケット販売は日大山形や山形工業や東海山形、さらにはPAは山形南と山形中央など、みんなが支えてくれた。

山形西や山形北や城北などの女子高生に、みんながチケットを売り、女子の来場者が多かった。




もう、40年前のライブ。

色褪せた写真。
記憶の奥底にある事実である。

でも、心の中の風景には、瑞々しく活き活きとしている仲間達がいる。

今すぐでも、その場面で、歌えるのかな…?

いや、ステージから見えるあのなんとも言えない空間、そしてステージの真ん中で、音を出したいと思う欲望…。


ふと思う。

自分でも解っているのだが、今も同じようなことをしているのかもしれない。

様々なカテゴリーの、ライブやイベントをやっている。

自分達でチケットをつくり、それを売って、多くの人々の前で演奏し歌う練習を夜中までする。
当日の舞台の設営、照明や音響…。

トラブルや事故があったときのケアなど、多くのことを知っていく。

そして、いくら費用がかかるから、いくらチケットを売らなければならないと、まさに、収支を学ぶ。


毎日が文化祭!


季節風の小さい方は、自分の若かった頃。
大きい方は、マチャこと昌彦。


まだまだ、物語は続いていくのである。