自分の祖父は、山形県の警察署長だった。

時は戦後の混乱の時代。

戦勝国兵士の横暴、闇市の取り締まり、馬見ヶ崎川の氾濫など、市民自警団と共に、市民の生命と生活を守った。

父も、最終的には公僕のトップとして、地域発展に命をかけた。

父は、山形県唯一の男子校、山形県立山形南高等学校応援団の初代団長であり、山形大学時代はボクシング部で男気があったそうである。

中学生の時、酔って帰宅した父と言い争いになり、1度殴られた。

手加減していたのは分かったが、目の前が真っ黒になった。



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そんな父に憧れたわけではないが、自分も山形南高等学校の応援団を率いた。

当時は、山形県下で、団員が30人近くいたのは、山形南か日大山形くらいだった。


その時の仲間達は、他の高校OB達も含めて、みんな一線で働いている。

右側が、日大山形応援団OBの村田氏、左側が当時は池袋のアフロのオサムである。



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日大山形応援団OBの小山氏。

リーゼントが1番うまい、床屋になった。
ヌンチャクとトンファーの名手だった。



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自分達のサンクチュアリは、弟に引き継がれていく。



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弟は、山形県1の進学校である、山形県立山形東高等学校応援団長に就任し、学生服は、京都の昇り龍の隠し彫りを裏地に入れた特注の逸品である。



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その数年後甥の一人は、山形県立山形南高等学校応援団長に就任し、金モール付の海軍的団長着を特注品として作った。

初代山形南応援団長が亡くなった時、香典の一分を山形南応援団に寄付し、その資金で今の応援団の団着が作られ、裏地には初代団長の名前が刻まれている。
それらのモデルになった団長着である。



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当時、山形東高等学校の団長の制服を着ていた小学生の甥のもう一人は、山形南高等学校のラグビー部の主将を経て、東海大学へ進み、現在、東京で勝負をしている。



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当時の東高校応援団長は、祖父、父の流れを引き継ぎ、山形県民の為に命をかけている。



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若き日に誓った男達の系譜…自分達のサンクチュアリを歩いて行く為に、負けない、諦めない、挫けない、いつも覚悟は秘めている。