静寂の中に、ただ暗闇と懐中電灯の光。

痛いくらいの寒い夜、雪が降っている。

あの日が、日常の連続性の中に、存在していることが、今でも信じられない。



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明かりが奪われ、車中のテレビで津波の脅威を目の当たりにした。



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ムービーオン山形は、スタッフが、お客さんを無事に避難させ、夕食を買い込み、夜が明けるまで、光が戻るのをみんなで待ったのである。



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ケーブルテレビ山形では、無停電装置を使用して、放送機器や伝送路の点検を徹夜で行う。



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自宅に戻ると、弟一家も集まり、懐中電灯の光の中で、カップラーメンやコンビニのおにぎりなどをみんなで食べた。

仙台市に行って、帰ってこない母からは「◯×小学校に避難している」とだけ電話がかかってきてすぐ切れた。

母のことだから、どんな状況でも、生き残っているだろうと思ってはいたが、正直声を聞いて、みんなが安堵した。



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翌日の3月12日の新聞には、想定外の驚愕の真実が掲載されていた。



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弟は、非常時用の服に着替え、山形県議会へ行く。



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吉村美栄子山形県知事は、状況把握で寸分の間もなく対応していた。



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ケーブルテレビ山形では、コミュニティ-チャンネル(市民チャンネル)を、生放送に切り替え、余震の中で、ヘルメットをかぶった鈴木淳予キャスターが、刻々と変わる被災情報と、救済誘導情報をライブで伝え始める。



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ケーブルテレビ山形のスタッフと弟の事務所のメンバーによる、第1陣差し入れ隊が、おにぎり300個やペットボトルを積み、宮城県に行く。

数ヶ所の避難所をまわり食糧を差し入れる。

帰路、母親と震えていた岩手県の19歳の女性を救済する。



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次第に明らかになってくる各地の状況は、ただただ痛ましく、腹立たしく、悲しく、人智を越える自然界の圧倒的な力に、自分達人間の無力感を覚えていた。

そして、その日の午後には、福島第1原発の事故が知らされるのである。


あれから3年。


死者15884人。
行方不明者2633人。