儒学の父、孔子。

自分が二十歳頃に乱読した中国の書籍。

論語や春秋、十八史略や三國志ナドナド、日本の歴史小説も含め、血気盛んな若者には、とてつもなく大きい世界が目の前に出現し、自分も『意義ある人生を生き抜きたい。』と感じたものだった。


孔子の言葉に、人生の徳目がある。

社会人になった時、『30にして立ち』を目指した。
どうしたら、志を立てる自分を造れるんだ…と、焦ったものである。

しかし、その徳目を目標にしたからこそ、自分が31歳でケーブルテレビ山形準備委員会を仲間達と立ち上げ、周囲の方々のチカラを得て、32歳の年の10月14日に当時の郵政大臣から、『ケーブルテレビ事業設置許可書』が出たのであった。


その後も論語の徳目を、目標とした人生であった。

『40で惑わず』
『50にして天命を知る』
これらも大きすぎる課題である。
自問自答も何度もした。



しかし、ここまで来て、自分の捉え方であるが『ひょっとしたら、孔子は、その年頃に訪れる、人生の落とし穴や壁を示唆してくれているのか?』…と考えるようになった。


例えば、40歳前後は、人生の中で、1番迷う時である。
仕事や家族、子育て住居、親との関係、特に転職は最後のチャンスと言われるくらいで、迷いに迷う時期である。

そして、「これでいいのか?」『今の自分でいいのか?』と、惑う。
だからこそ、40歳は不惑…惑わずと、警鐘をならしているのかもしれない。


また、50歳前後は、人生の終わりが見えてくる中で、今まで積み上げたものの集大成を為すことができるのか?

自分が何の為に、誰の為に、この世に生まれてきたのか?

これまで積み上げてきたものと、これから成そうとするものが合致した時、天命を知ることになるのかもしれない。



今回、不覚にもインフルエンザ休みの為に、多くの後進から、自分の役割を担ってもらった。



約束の地へ…Love&Peace-IMG_3693.jpg
ケーブルテレビ山形市民チャンネルの、トーク番組も、開局以来約150回中で、2回目の休みであり、自分の代わりに、制作局長の高橋氏が出演してもらった。

その他のメンバーにも、いつ自分が、会社を引退しても、病気で倒れても、次の時代になっても、恒常的に会社が止まらず動くチカラをつけるのは、『瓢箪からこまで』、ケーブルテレビ山形やムービーオンの事業継続(BCP)や、持続可能性(サスティナビリティ)の、トレーニングにはなった。


不惑は乗りきると言うよりも、『受容』できた。
しかし、『天命』が降臨してくれるまで、しばらく時間がかかりそうである。