一般的に、映画祭の存在理由とは、いくつかある。

まずは当然、映画を持ちより、あるいは集め、多くの観客や参加者から、普段はなかなか見られない映画を、観ていただくこと。

さらには、開催地域の文化振興や、街の活力に寄与し、広く市民のみなさんから観ていただく機会をつくること。

また、コンペディションがある場合は、新人監督達は、新たなチャンスやステージに立てること。

…など、多くの意味を持つが、実は1番の素晴らしいことは、人と人の交流なのである。





この日の夜は、午後9時30分くらいからの夕食となった。

場所は焼き肉『丸源』であり、たらふくみんなが山形牛の上カルビやロースを食べた。

午前0時に店を出て、二次会は、すずらん街の『郷…ミヤコ』である。

明日の朝が早いので、ナビゲーターの菜葉菜は焼肉屋で帰ったが、残ったメンバーは、午前2時過ぎまで、様々なことを話し合った。

いつの間にか、映画祭とは、かけ離れた話になったのである。




手前は、中国に複数の工場を持ち、日本の『棺桶市場』に参入し、全国の約10パーセントをシェアしている、まだ30歳の女性社長のウーさんである。

その頭の良さには下を巻いた。

数年で、30パーセントまで伸ばすとのこと。


奥にいるのが、格闘家としては、様々な著名な選手を排出している、手塚氏であり、バットを7本折れる格闘界の中心の一人である。




さらには、ムービーオンの渡辺常務と、岩手ケーブルテレビジョンの笹原社長に囲まれているのが、前山形県総務部長の藤田氏である。

今は、総務省にお戻りになられたが、仕事が終わってから、新幹線に飛び乗り、遠い山形の地まで、いらしてくれたのだ。

わざわざ、遠い山形まで来ていただいたこと…感動した。




当然、行定勲監督やTアーチストの浅野社長にも付き合っていただき、中国のスケールの凄さや、格闘技界の話や、政府の考え、そして、映画界やメディアの話をして、話題や話のテーマはぐちゃぐちゃになったが、得るところは非常に多かった。




映画祭ならではの出会いである。

日本の天才作家であるチヒと、中国の女性実業家であるウーという、同世代の女性二人に囲まれ、光栄に思った。


いよいよ始まったYMF山形国際ムービーフェスティバル…。


たぶん、夜は毎晩こんなもんだろうと、帰宅し時計を見たら午前3時だった。


しかし貴重な出会いの夜であった。
山形に来てくれて、とても嬉しかった。


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