ひとつひとつの意見や考え方は、何通りもあってもいいと思う。

しかし、国民の、ナマの生活を、ナマの被災地を、本気で見てほしいと思う。

自分は、支持政党はない。

それぞれに良さもあれば、イマイチに思えるところがある。

特に、『ラストサムライ』と思っていた、小沢一郎さんが、姿を隠してからは、なおさら『リーダーとは何か?』ということに、こだわってしまう。


特に、政権を投げ出した安倍晋三氏が、自民党総裁に復活したことには、驚きを隠せない。

さらに、81歳の石原都知事が、都政を投げ出し、維新の会と第3極を作ろうとしていることも、信じがたい。

東日本大震災の頃の、民主党の菅直人総理も、朝令暮改ははなはだしかったし、何よりも、ガバナンス(統治)が効いていなく、コンセンサスはバラバラであり、リーダーシップはまるでなかったと思う…だから、退陣につながっていくのは当然なのだろう。

代わったのが、党首選挙を経て選ばれた野田総理、党首選挙の時は、かなり世論の支持が上がった。

しかし、急きょ降ってわいた『消費税』や、『原子力発電所の再稼動』へ対する唐突な決定。

これらが、一気に世論の反発をかう。
また、離党者も増加している。

しかし、年内解散の包囲網を、まるで『どじょう』のように、うまくすり抜けているのが現状である。




一昨日、自分の弟が会ってきたそうだが、『思った以上に、しっかりした総理大臣かもしれない。』と言っていた。




蓮舫議員は、とても素敵な方であった
そうである。

小沢一郎さんの時もそうだったが、メディアを通すと、本人のイメージが変わる。
やはり自分がナマで会い、ナマで話をして、初めて通うものがあるのかもしれない。



どうであれ、もう少し、決定までのプロセスを丁寧に国民へ示し、様々な方々と対話をするべきである。

人の考えと、自分の考えは、必ずしも一致はしない。
同意できることは、仲が良くても、家族でも、あまり多くはない。

しかし、合意はできると思う。

同意はできなくも、合意はできる。
これが、コミュニケーションプロセスの重要性である。



これからの少子高齢化社会や、デフレで景気低迷社会などの高負担社会は、『合意形成』が何よりも大切な方法であると思う。

闘うことも必要かもしれないが、『和』をもって尊ぶ政治を行ってほしい。

これは、会社や、地域社会にも言えることであるが…。


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