9月14日の夜、丸勘北山形青果市場の佐藤明彦社長ご夫妻と、『平原綾香コンサート』に出かけた。


自分としては、昨年の11月に開催された、YMF山形国際ムービーフェスティバルでの、『アンダーグラフ』と『森友嵐士』のライブ。
そして、今年の初夏、シベールアリーナでの『加藤登紀子』コンサート以来であるが、1500人以上集まるコンサートは久しぶりである。


何度か、数年前に、山形県民会館でのコンサートには来たものの、満員には到底及ばず、今回は3階席まで満員で、さらに立ち見席も売り出されたとは、凄い人気である。




『平原綾香』の歌唱力というか、クラシカルな音楽家の家族の中で磨かれた能力には関心があったので、売り出されてすぐに4枚のチケットを購入したが、さすがに1階席はファンクラブ、2階席は主催者関係のようで、一般売りは、2階席の半分くらいと3階席というぐあいで、後ろの方の席であったが、全然気にはならなかった。




自分の好きな『明日』『ジュピター』をナマで聴けたのは良かったし、彼女の歌い方や声が、次第に身体に染みていく感じが心地よかった…。


東日本大震災の後につくり、石巻市の高校生たちと合同で披露した『この想い伝えたい』や、数百人の詩を紡いだ『星つむぎの詩』、そして、このコンサートで大好きになった『おひさま』など…忘れられない曲が何曲もあった。


時には魂を絞り出すように歌う彼女を見て、時にはフットライトが写る天井の光を見て、時には目をつむりなが、聴いていた。




ケーブルテレビ山形創立20周年の記念日だからか、頭の中のスクリーンに写る映像は、ケーブルテレビ山形をつくる前から今日までの、ひとつひとつの出来事と場面、そして仲間たちの顔。
さらには、取材先や出演者、山形のちょっとした風景。

そして、多くの想いを共有したメンバー達の心象風景が、まるで大きな戯曲のように押し寄せてきた。




ステージでは、平原綾香さんのタップダンスや、ドラムや楽器になりきっての音やリズムを奏でる曲、そしてアップテンポの曲も始まる。

前列の方から、みんなスタンディング状態になってきた。

自分の左隣は中央の通路、右には佐藤社長が座っていたが、『周りが立っても、ゼッタイ立つなよ!』と言うので、うなずくが、結局全員が、平原綾香さんからダンスレッスンをさせられて、みんなが歌に合わせて踊った。

それが終わると、前列のご高齢者は座っていたが、一度立ったほとんどの人々は、最後まで立っていた。

しかし、ラストのバラードの曲が続いた時は、全員がスタンディングオベーション☆☆☆

平原綾香さんが、『山形はいつきても感動的でサイコー、今回出したCDにも、山形の皆さんと歌った曲が、たくさん入っています!』と言っていた。


実際、二枚ぐみのCDを買ったら、一枚がライブバージョンで、収録された場所が、山形県民会館が1番多かっ
た。




ステージを見ていて、すごく感じたことがある。
山形の観客が最高のステージを作っているのではなく、平原綾香さん自身が、お客様に謙虚な言葉を使い、本気でお客様に感謝しているのが伝わるのである。

まだ28歳で、まるでクラシックコンサートを聴きに行っているぐらい、豪華な高級感と高揚感を、お客さんに与えるチカラがある。




コンサート後は、CDやグッズにみんなが殺到する。

自分も、全種類買いたくなったが、佐藤社長達が外で待っていると言うので、CDだけ買ったのである。



コンサートが終わると、佐藤社長が、コンサートのお礼に、ディナーを準備しているとのことで、佐藤社長の親戚がオーナーシェフをしている洋食とワインの店『kojiro』に連れていかれ、フルコースとワインをご馳走になる。


真鯛のカルパッチョ。

アワビのステーキと、アワビの肝は、数日前から、現地に手配してくださったそうである。

米沢牛のステーキ。
脂の状態を考えて部位を決めるそうである。

その他にも、たくさんいただいたが、ズキンズキンきた美味しい料理が素晴らしかった。


佐藤明彦…彼との出会いは13歳。
いつの間にか、彼は素敵な大人になった。

コンサートに誘ったら、逆に倍返しのようなディナーをいただき、恐縮であり、ある意味、とても嬉しかった。


自分なりに、ケーブルテレビ山形の20周年の記念日に、しっかり過ぎし日々の20年間と向かい合えた日となった。

あと2年後には、開局・放送開始20周年を迎える。

その時まで、もうひと走りをして、ちゃんとお世話になった方々をお迎えし、ささやかな記念パーティーでも開催したいと思っている。


支えてくださった、すべての皆さんへ、心から感謝、感謝、感謝である☆


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