毎日、朝がきて眠りから覚め、昼になり、夜の帳が落ちて、また眠りにつく。

多かれ少なかれ、ほとんどの人々が、そんな日常を繰り返す。




次の仕事場に行く途中、スターバックスのアイスアメリカンコーヒーを二つ買う。




運転しているstaff後藤と自分の分である。

そんないつも的な、日常的な普通のことができる自分達は、やっぱりしあわせなのであろう。




午後2時、自分にとっては突然の訃報であったが、友人の旅立ちに手向ける献花がヤマコービルの7階でおこなわれた。

流れる曲は『なだそうそう』
会場に入ると、彼の愛用のギター2本と、数個のハーモニカがあった。

彼の家族とのいつもの優しい笑顔。
献花をした先には、彼の笑顔があった。

たぶん、予想外の重職に就かれ、ストレスから病が発生したのではないか?と思わざるをえない。

彼との出会いは、彼が大グループを率いる立場になるずっと前だった。

二人で音楽の話をしていた。
また、山形にどうやったら人を呼べるかなど、いろんな話をした。


何年かぶりに奥様の顔を観て、少し話をした。

病気が、命まで奪ってしまうとは、思ってもみなかったのである。


彼は7月1日天に旅だったのである。




日常の中から、彼が亡くなったと実感した今日、また新しい出会いがあった。


徳永女史である。
かなりの経験値を持つ、素晴らしい方であった。




『亀松閣』の夏料理でおもてなしをする。


人は生まれて、そしていつか亡くなる。
出会いもまたしかりである。




だからこそ、その生命が、日常の中にあることがしあわせなのだろう。


合掌。

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