世界中で、『今』、間違いなく何かが始まっている。

それは、カンボジアの学校の中で、少年の心に芽生えた高き志しかもしれない。

それは、パリのシャンゼリゼ通りに傘屋さんをオープンし、夢を実現しようとしている女性かもしれない。

それは、福島原発で、建てたばかりのマイホームを棄て、新天地で暮らす覚悟を持った一家の主かもしれない。

それは、昨日まで友人だった相手が、恋愛の対象になったと気がついた女子高生かもしれない。

この星の上に住んでいる人の数ほど、必ず始まりがあるはず。

どんな環境になろうとも、今までと違う暮らしになろうとも、必ず何かは始まっているのだ…。


同じように、始まりには終わりがある。
出会いの数ほど、別れがある。
これは世の常。

だから、出会いの奇跡と、別れの寂寥は、人の心の大いなる糧である。

人は、出会いと別れを繰り返しながら成長する。
そして、人を愛する尊さを知るのである。




愛と平和は、人を必ず『シアワセ』にする。


そんなことを感じる事が、『おとな
』の証明なのかもしれない。


そして、『すべての終わりは、すべての始まり。』
さらに、『すべての始まりは、終わりに通じている。』

2つは違うことではない。

人は、心の中では何歳にでもなれるし、どこにでも行けるし、いつも自由なのである。

自分が、心の中の、何と、誰と歩むのか…ということが大切だと思う。


最近、身近で天に召される方々が多く、涙腺が緩みっぱなしである。

だから、立ち止まって考えた。

やっぱり、すべての終わりは、すべての始まりであり、新しい物語は、今、始まったばかりである。

だから、肩を貸すから、手を引くから、みんなで再スタートである。



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