本年7月4日、すでに8年前に天に召された自分の父親を支え続けてくださった、秋葉昭吾氏が亡くなられた。

その葬儀委員長を、喪主の昭一氏の指示により、仰せつかった。


あれから100日が過ぎた。


今日は、午前10時30分から、漆山「広善寺」にて法要があり、その後、七日町ワシントンホテルで「おとぎ」が行われた。



「おとぎ」にしては、秋葉昭一氏の奥さまの実家にあたる伊勢家だからか、素晴らしい料理の数々で、正直、ワシントンホテルの和食のレベルの高さを改めて感じた。

秋葉昭吾氏は、自分の家族にとっては大恩あるかたであり、父が浪人している時は、毎日のように顔を出してくださり、父とコーヒーを飲んで話し笑っていた。

どんなに父が救われたか…。


父が亡くなってからは、毎月命日の日に寄ってくださり、母を慰め、父の位牌に手を合わせて下さっていた。

優しく、一筋で、義と恩の人であった。

自分達にとって、父の8年の浪人期間中が、もっとも辛い時だった。
父が55歳から63歳くらいの時だと思う。

距離をとられた方、離れていった方、支えてくれた方、父は、涙を目に溜めて支えてくれた方々に感謝していた。

父の側で、そういう方々へ、父がもし恩返しできなかったら、自分が必ず恩を返すと誓っていた。

すべての原点は、それだけでいい。
今もそう思っている。



会場の三十三間堂は、秋葉昭吾氏の遺影とともに、亡くなるまで描いていたという絵と、盆栽が飾られていた。





秋葉昭吾氏らしい、几帳面というか繊細さを感じた。

喪主の昭一氏に、いつか個展を開けと言っていたそうである。

また、盆栽は、昭一氏が引き受けてているとのことで、「オレの腕も大したもんだべ!」と言っていた。



秋葉昭吾氏が目にいれても痛くないほど可愛がったチカちゃん。

大きなおなかを抱え、山形の実家に戻った日に、昭吾氏は病院に入院した。

チカちゃんの里帰りを待っての入院だったのかもしれない。

昭吾氏が亡くなって、約1ヶ月半位たち、昭一氏の初孫『大稀』くんが産まれたのである。



秋葉家のみなさんにとって、未来が、平和で幸せに暮らされることを、願いたいと思う。



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