4月10日 新宿 サードオピニオン(精神疾患)相談会・対話会
4月17日 薬に頼らないオルタナティブ講座 新宿
5月1日  減断薬の為の基礎知識(お薬を深く学ぶセミナー)in 東京 

精神科処方薬による薬物中毒からリカバリーを果たした精神科サバイバー達に共通するのは、減薬を自分で決めていること。

減薬することを自分で決めることは、自分の人生を自分で決めて良いというリカバリーの基本原則を実践する第一歩である。
それは、今まで問題の悪化のスパイラルから脱し、改善のスパイラルに変転する基点となる。

減薬を決意するためには、ある言説の書き換えが必要となる。
製薬会社と御用医師、それにまんまと洗脳されていた社会から押し付けられた言説である。

精神疾患は薬物で治療できる→薬物は一時的に症状を抑えるもの
医師が病気を治してくれる→病気は自分の力で治る
専門家(医師)の言うことは正しい→正しいとは限らない

といった言説の点検とその書き換えが必要である。
これは様々なリカバリーモデルを生みだした当事者の回復の物語にも共通する。
当人を苦しめているのが、病気ではなく薬やその治療の形であるなら、この言説の書き換えは必須である。

それは医療を敵対視し、排除することではない。
本来の在るべき役割に立ち戻ってもらうということに過ぎない。
義務教育が学校に行くことではないのと同じように、医療は、あくまで我々市民が選択するサービスの一つだ。
押し付けられるものではないという、至極当たり前のことを言っているに過ぎない。
押し付けられて治るのなら良いが、医療に精神疾患は治せない。

この間、ベーシックインカム勉強会に参加してくれた精神科医が的を得た話をしてくれた。
「薬物治療で治ったという人は、薬物治療の弊害にも負けず回復した強い人だ。」
こうした見識を持つ医師なら、頼りになる専門家として、もろ手を挙げて歓迎する。

病気を治す権威(医師)である前に、回復を願う一サポーターであれという単純な話だ。
(この権威と金儲けを手放すことが出来ない医師には退場頂くしかない)
オープン・ダイアローグにおいても、
マジックミラーの向こうに居た専門家が、患者の傍に行き、患者の生活の中に溶け込むことがその一歩だった。
薬を使うかどうかの決定も、当人とその周囲の人々を交えた対話の中で時間をかけて行われるのだ。診断や投薬は選択されるもので、押し付けられない。(軽症の場合には、そうしているうちに回復する。オープン・ダイアローグが実践される地域で病気の発症率が低下するのは当たり前である。)
自己決定を可能にする当事者主体の取り組みとは、そうした対等な関係性の元でしか成立しない。
様々な専門技術より、そのフラットな関係性のある空間の方がはるかに重要なのである。

何度も言うが、押し付けの薬と診断の問題を棚の上に挙げた(医療の権威主義を温存したままの)リカバリーなどあり得ない。

また、そもそも、何故、精神症状を発症したかを考えれば、当人を取り巻く環境や人間関係に手を付けない訳にはいかない。
社会精神医学の言う「精神疾患はその人の人生の危機における正常な反応」と捉えるならば、改善を図らねばならないのは当人だけでなく、その周辺すべて(家庭だけでなく社会も)である。リカバリーは関わるすべての人に必要となる。
逆に精神疾患を生物学的な問題と捉えることは、問題を当人だけの責任としてしまうのだ。医者に治してもらうという関係性が成り立つのは、精神疾患が治療可能な病気である場合に限られる。

選択肢は多ければ多い程良い。医療もその一つだ。
サポーターの役割は、そもそも非常に楽しいものだ。誰かの役に立つという喜びは、リカバリーの基本。
その喜びを知ったなら、もう元には戻れない。
リカバリーをサポートして、一番リカバリーをするのは、そういう人なのだ。

まず、言説を書き換えるべきは、薬を信じ、診断を信じている医師本人である。
イタリアのバザーリアのように、目の前の患者を治せていないことを直視し、チャートの無い船旅に出かける以外に道はない。