最近リカバリーモデルや社会精神医学について立て続けて触れた。
もともと、人から教わるのが苦手で、常に必要なものだけ学んでいる。
(子供の頃から、教科書に書いてあることをワザワザ教えてもらうことの意味が分からない)
教科書を読んだところで、実践(経験)がなければ意味がないとも思っているので、必要に迫られてから学んだものがほとんどである。

自他ともに認める天性の天邪鬼(あまのじゃく)だから、権威を批判するこの活動は私に向いていると思う。
とは言え、この問題が、社会問題であることには最初から気が付いてはいるが、もともと勉強嫌いな私には先人の知恵を拝借する能力が低い。
最近、立て続けに、色んなことを教えてくれる人が周りに居て、凄まじい勢いでいろんなことを教えてくれるので大変助かっている。

読んでるブログにユングが、
「自分なりの哲学をつかんで、それを人のために使うようになればこころの痛みは消える」
と言ってると書かれていた。
これは嬉しかった。
以前、自分の活動は、自分への治療のようなものだと書いたが、改めてそれを確信させてくれたのだ。
思っていたことをこうして他人の言葉で聴くとその知識は完全に自分のものとなる。

これは、当事者はもちろん、加害意識のある家族、支援者、医療者のリカバリーのプロセスとして使っていくべきだと思う。
そして、皆にこの活動に参加してもらうことの意義を明確にしてくれる言葉でもある。

10年、20年の時間を失った被害者はもちろん、この問題に気が付いた支援者や医療者はどうすれば良いのか?
その一つの改善の手法として、
「自分なりの哲学をつかんで、それを人のために使うようになればこころの痛みは消える」
は大いに役に立つと思うのだ。
自分なりの哲学をつかむには、まず、正しい情報を得て、批判力を高め、自己決定力を高める必要がある。
さらには、その哲学を実践できるコミュニティがなければならない。
自分なりの哲学を得てもそれを確固なものにするためには実践の場で確認する必要がある。

何かを教える(伝える)という行為で一番勉強しているのは誰か?
実は、伝えた本人である。
同じように、当事者が、支援側に回るということは、一番リカバリーしていくのはその当事者に他ならない。

現在の医療システムにがっちり組み込まれた医師や福祉の人々は、この問題に気が付いた途端に、異端者となり、生きる術としての職を失いかねない。陰ながら応援してくれる医療者や福祉の方々は大勢いる。しかし、名乗り出て、大っぴらに活動に協力してくれる人は、まさに万に一つの信念をもった人たちである。多くの人たちは、その現実と理想の狭間で思い苦しむ。
結果、総論賛成各論反対の立場になる。患者会も患者家族会も同じようなジレンマの中にいる。

問題に気が付き、減断薬を中心とした治療に取り組んでいる医師がいる。
彼女は、私に絶滅したと言われた社会精神医学を仲間に広めたいという。
ぜひ応援したいが、本人も分かっていると思うが、もちろん容易なことではない。
だが、私に言わせれば、彼女には最初から、リカバリー手法にある患者との対等な姿勢が元々備わっている。
もともと権威的ではない。彼女は問題に気が付いたとき、まず患者に詫びた。
もともとそうした姿勢のない医師には実践不可能である。
最近の彼女は、その低姿勢な態度とはうらはらに、何か自信のようなものをつかんだように私には思える。
これは私の勝手な解釈だが、彼女は、この1年で、
「自分なりの哲学をつかんで、それを人のために使うようになればこころの痛みは消える」
その第一段階に達したのではないかと思う。
勉強会で、臨床成績を伝えて頂いた。これは皆で共有されるべき一級品の情報だった。

今のままでは、当事者も不幸だが、支援者も、医療者も不幸。我々は悪循環の中にある。
この改善の為には、何か好循環を起こすような仕掛けが居る。
一番邪魔なのは、過度の役割分担であり、医者(専門家)が問題を解決してくれるという幻想。
医療に丸投げするという福祉の姿勢。そのヒエラルキーこそが問題の解決を阻む最大の壁である。
あくまで、決定し、問題解決するのは自分自身であり、誰かが解決してくれるのではない。
医者やセラピストが、病気を治してくれるという幻想は、特に精神疾患に置いては、もっとも避けるべきものだ。

自己決定するためにはまず、正しい情報が共有される必要がある。
(決定的に欠けているのが、薬と薬物療法に対する知識、そして精神病理、社会病理も)
病気(減断薬)は医者が治してくれるものではなく、自らが決定して行うものだと気が付いたなら、医者の役割は全く違うものになる。
自己の問題解決に為に、必要に応じて、医学的な情報や医学的処置を提供してくれる良き協力者となる。

医者やセラピストのもう一つの役割は、臨床家としての経験を積み、自身の情報や医療行為の精度を高めることである。
そして、その情報や技術を所属するコミュニティに還元することである。
その情報も技術も当事者を含むコミュニティ全体で共有されなければならない。
その情報には、元当事者であるピアスタッフの経験も含まれる。
看護職やコメディカルにも相応の役割分担があるが、その成果もまたコミュニティで共有すべきである。

こんな理想を描いてみた。
だが、これは一部の先進国ではある程度実現されていることである。
EBMの重要性も同じような理想に基づいている。
けっして、実現不可能なものではない。

オルタナティブ活動もまたこうした理想を目指したものにしたい。
その小さな実践をいくつかの地域でやってみたいと思う。

5月23日 北九州
市民の為の精神医療の知識
ゲスト 長峰医師(北九州総合病院救急救命センター、センター長)

5月24日 大分
市民の為の精神医療の知識

5月30日 岡山
市民の作る新しいメンタルヘルスの形
我が国の精神医療と福祉の功罪を問います。

5月31日 島根
6月6日 熊本

6月より、大阪と名古屋で、月一でオルタナティブ活動の実践を目的とした取り組みを始めます。
正しい情報を得るための勉強会。
サードオピニオン(オルタナティブな視点でのセカンドオピニオン)
多様な参加者による対話会の実施。
ご興味のある方は、是非、顔を出してください。