野田先生の著書『犯罪と精神医療』の副題は『クライシスコールに答えたか』である。
(野田先生が知ると悲しむと思うが、アマゾンで100円で買えるので読んでいただきたい。)

イタリア精神保健では、精神疾患患者は人生のクライシスに遭遇し不調をきたした人と理解されている。

人生のクライシスとは、人間が遭遇するあらゆる苦難を指す。
貧困であったり、人間関係の躓きであったり、失業や倒産、受験や就労の失敗であったり、病気であったり。
そして、精神症状を呈する人とは、人生のクライシスに直面し、心身に不調を訴える人々である。
実は、これが、世界のスタンダードな考えである。
ただ、脳の器質的な問題などと言ってるのは、製薬会社に騙された日米くらいのもの。ただの一時的なブームです。もうすぐ終了です。
(オープンダイアログで、現地のスタッフが、NYからきたセラピストに対し、何が珍しくて取材に来たのと逆に質問していたのはそういうことだ。そのアメリカだって、この国ほど酷くはない。)

イタリアや欧州の一部で提供されているメンタルヘルスサービスは、これをもとにしている。

海外事例を調べていて不思議だったのは、あまり薬のことに触れられていないことだ。
日本のこれらの研究者や推進する人々は、これを「薬物治療は前提」と捉えているが、原文を読めばそうではない。
あまり触れられていないのは、逆に薬が大して重要ではないからだ。

いつまでたっても証明不可能な生物学的精神医学に頭の先から尻尾まで席巻されている我が国の状況は末期的である。
根拠のないモノアミン仮説を信じ、またそれに基づく薬を開発し、
ただの覚醒剤と鎮静剤を治療薬と称し、副作用まで病気の悪化と捉え、ずっと飲まなければならないなどと言っている。
この薬信仰のもとでは何をやっても無駄である。
地域移行も、チーム医療も、精神療法も、リカバリー手法もすべて無駄。

医療モデルだけで、人生の危機に陥った人を支援できるわけがない。
医療に出来ること、薬に出来ることは、そのほんの小さな役割でしかない。
一番重要なのは、危機を理解し、必要な助言や援助を提供してくれる社会システムである。

精神医療は必要か否か?
これはこの活動を始めた頃からの根本的な問い。
私が至った答えは、必要。
役割は、精神症状の精神病理として理解や身体疾病由来の精神症状との鑑別、急性期の一時的な薬物使用などである。
だが、現在の我が国の精神医療に限って言えば、120%要らない。
これは精神医療でもなんでもないただの金儲け詐欺に近い。
人生の危機に陥った人を支援するどころか、向精神薬でそのリカバリーのチャンスを奪っているだけだ。

福祉の皆さん、もう薬のことを棚にあげるのはやめて下さい。
皆さまの頼りにしている生物学的精神医学はもうすぐ終了です。

精神医療改革は、医療改革ではない。社会改革である。
メンタルヘルス対策は、医療モデルから社会モデルに移行しなければならない。
メンタルヘルス予算は、9割が医療で福祉が1割。
生保の半分が医療費。
貧困、引きこもり、虐待、虐め、自死対策、介護、子育て・・・

おかしいと思いませんか?
税収より多い医療費って何?
社会全体の利益を考えて、功利主義で被害者を切り捨てるのなら、社会にこれだけの負担をかけている医療費は真っ先に削減すべきである。

半額の20兆円を、人生の危機の予防に使ったならば、この国はどれほど豊かな国となることか。
単なる私の意見ではありません。これはWHOのメンタルヘルスプランにも明言されています。

5月18日、衆議院議員会館で、5月18日  12時から15時まで
衆議院第一議員会館 1階  多目的ホール
自死への差別と偏見を考えるシンポジュウムにて野田先生が講演されます。
どなたでも参加出来ます。是非参加ください。私も行きます。

5月17日 名古屋
市民の為の精神医療の知識
増田さやか医師をお迎えして、減断薬や診療の実際をお話頂きます。

5月23日 北九州
市民の為の精神医療の知識
ゲスト 長峰医師(北九州総合病院救急救命センター、センター長)

5月24日 大分
市民の為の精神医療の知識

5月30日 岡山
市民の作る新しいメンタルヘルスの形
我が国の精神医療と福祉の功罪を問います。