以前、勉強会に参加いただいた方から、体験談を送っていただきました。
メールからの転載です。

半年ほど前、双極性障害に付随しての全身性ジストニア(詳しくは後述)で救急搬送されました。

早朝の発作で、若干の酸素濃度の低下もあるとのことで、まず向かった先は精神科ではなく総合病院でした。
(一旦落ち着いた後、精神科に入院)
メジャートランキライザーの服用はかなり前に自分からの申し出で止めているのですが、
こんなにも日時を隔てた酷い発症に、主治医も困っていました。

診断は、
主治医は心因性のもの、
大学病院の神経内科の医師は、(動画を見たうえで)薬剤性を疑う、との見解(退院後)。

真っ二つでした。

当時は、デパケンRとランドセン(長時間作用ベンゾ)のみの服用でしたので、
これも自分からの申し出でというか「自己責任」との啖呵を切って、毎回「報告」しながら漸減し、
これ以上は減らせないぎりぎりのところまで減らしました。

すると・・・。

精神症状、安定へ。
何、このすっきり感?
引き裂かれるような混合状態は落ち着き、周囲が鮮やかに見えてくるという明らかな変化を実感しました。

身体症状もほぼ安定。
「タッピング」と呼ばれる歯ぎしりの一種が新たに出現しましたが、これはおそらく、
ベンゾの離脱の類か?と、自分では解釈しております。

当時、実は2回救急搬送されているのですが、
その酷い有様の「動画」は現在も記録として保存してあります。
(仮に薬剤性の症状であるならば、「告発、警告」の意味を込めて、恥をも顧みず知ってもらいたいという強い思いがあるのも事実です。)

ピーク時(入院中)、発作性の全身ジストニアに、喉のジストニアも加わって、
体幹は右に折れ曲がり、パーキンソン様症状、という複雑なものでした。
ここに、困ったことにジスキネジアが混在という、ドーパミン系が明らかにおかしな状態?
転倒を繰り返し、申し出てやっと車椅子を借りられたという不思議極まりない時間でした。

こんな中の頓服は焼け石に水で、というより大量に飲みたくなかったので、ついに私は・・・
入院中の閉鎖病棟内から「119」に電話するという行動に出ました。
説得を押し切って、正当な権利の行使での自主退院です。

ちょうど隣のベッドになった老人から、こんなところにいつまでもいたら、
治るものも治らないから、「自分から動かなきゃだめだ」、
と背中を押されたのも大胆なことができた理由の一つかもしれません。

一番ひどい状態の時に主治医の言い放った「錐体外路症状の専門は精神科ではなく神経内科医で云々」という、
自らの責任を放棄するかの如き発言を逆手にとって、二つの病院の神経内科に足を運びました。

一つ目の地元の総合病院の神経内科からは、あからさまに患者を馬鹿にする態度をとられたので、
本当に苦しい中、大学病院まで家族で足を運び、検査を含めて数回通ったのち、
担当の医師から次のような言葉を受け取ることができました。

「あなたのカルテはこれからもここに残っています。きっと今回ここまで来るのも大変だったことでしょう。
ですので、次にここに来るかどうかの判断はあなた自身にお任せします。
今回のような症状にまたなることは決して望まないけれど、もし、辛い状況になった時は、
ここの扉はいつでも空いていますよ。ですから安心してください。」

だんだん症状が和らいでいったのはこの言葉を聞いてからでしょうか?

「心が落ちつく」ことが何よりの処方箋だったように思います。
当然ですが、ここでは薬は一切もらっていません。

精神科の主治医は言います。
医師の判断で既定の2倍まで処方することは間違っていないと。

なのに、量を減らして症状が安定したときに言った言葉は、
「減ってよくなることもありますよ。」

転載以上