「オルタナティブ(既存のシステムや概念にとらわれない、別の選択肢がある)な社会」を目指して、現在の過剰で逃げ場のない精神医療や福祉から、地味~にいつの間にか脱却して、皆でそこそこ幸せになるための、プロジェクトチーム。
-神奈川オルタナティブ協議会準備室の案内文-

同じような取り組みの試みが、全国各地で始まっている。

オルタナティブは、漠然とした言葉であるが、ますます全体主義が強まる社会に対する市民の答えの一つである。
ちょっと前に、若者の田舎志向が増えているという報道があったが、それもオルタナティブな生き方に若者が魅力を感じているということだ。
行き過ぎた都市集中、効率主義、拝金主義に対する当然の反応だと思う。
方向性は、田舎回帰、共生、コミュニティの再構築、自営、脱拝金主義となる。

オルタナティブは実は既に教育分野において実現している。
きのくに学園
こどもの森学園
さらには、欧州では、ホームエデュケーションという形で、学校に行かない選択も用意されている。
それは、日本で言う引きこもりというネガティブな意味ではない。
積極的な選択である。欧州のいくつかの国では、既にその権利が法律で保障されている。
これらには、いくつかの共通した特徴がある。
各世代の子供も大人も一緒に活動すること、知識の詰め込みではなく創造、実践を通じて子供の個性、そして自分で選択する力を育てること。お行儀よくして、知識を詰め込むことを強いる日本の伝統的な教育とは真逆だ。
それと、どの学校も、こうした形を求める市民の力により、市民により設立され、必要最小限の資金で運営されている。
オーナーは実質的に市民で、利権で儲ける経営者は居ない。

若者の間では、古民家を自ら再生し、そこでカフェを経営したり、有機野菜を販売したりすることで生きていくことを選択している。
そこでは、住むことと食べることはある意味保障されているに等しい。そうなると、お金を稼ぐ意味は都市生活者とは全く違ってくる。

この間、岡山の田舎に住む仲間の話を聞いたが、過疎の村で若夫婦である彼らに地域の人は、何かと食べ物をくれたり、食事に誘ってくれるのだという。この若夫婦はどちらとも元薬漬けの当事者である。ついこの間まで立派な病名もついていた。
彼らはすでに、こういう選択もあるのだという証明である。
これは私の勝手な思い込みであるが、彼らには、これまでの、いやこれからの体験をもとにそうした生き方の手本となって欲しい。

かく言う私も、すぐにでもそうした生活に飛び込みたいが、私がすぐにそこに行けない理由は、猫と年老いた母親の存在。
都市生活者の多くは、もっと多くのしがらみで身動きが出来ないだろう。
そこで、都市生活者にとってどんな選択肢(オルタナティブ)があるかこれから考えてみたい。

医療や福祉の面では、都市生活者にもオルタナティブはすぐにでも実現可能である。
まずは集まれる場所の確保から。
関西(大阪)では、協力者のおかげで月一で集まれる場所が確保できたので、これからじっくり作戦を立てたい。
関西は当事者の参加が多いので、まず自助グループから、自助グループと言うより自立グループとしたい。
ご興味のある方は、私までメールをください。

神奈川県では、手始めに、自分たちで出来る健康管理を学ぼうということで、
12/20 心と体の『セルフケア』を学ぼう
を開きます。相模大野ですので、お近くの方は是非。

今度の名古屋セミナーでも、こうしたオルタナティブな試みを一緒に取り組んで頂ける方の発掘が目的の一つです。
オルタナティブな福祉、医療にご興味のある方の参加をお待ちしています。
特に、そこそこの報酬でご協力頂ける医師の参加を熱望します。
また、既存の団体でこうした活動に共感頂ける方の参加も期待しています。