精神医療問題をどうしたら改善できるか?
それを考えていくと、その根の深さから気絶しそうになる(笑)

政治も使った、司法も使った、しかしそのどれもが機能不全に陥っている。
何度も言うが、この異常さが異常とされないことが異常なのである。
常識が通用しない世界、組織の論理が優先され、個人の生き方や考え方まで規定される社会。
組織の論理は、一般常識より優先される。
逆に、狂人とされている方がまともではないかとの思いが浮かんでくる。

日本の教育では、組織に従順であることを徹底して叩き込まれる。
人にやさしくあれとか、想像力を育てるとか、能力を向上させるより、この社会での偏った適応能力ばかりが教え込まれる。
だから、日本の公的な教育からプロは生まれない。プロは教わってなるものではない。

精神科病院で起きていることは、精神科という狭い特殊な世界と、そこにぶら下がった福祉、頭の悪い政治家、利権拡大と点取り仕事にいそしむ行政、そうした組織人を作り出す教育、面白おかしくメンタルヘルスを語ったマスコミ、自身で判決を下す能力に欠けた司法によって支えられている。
それぞれが、組織の論理を優先し、個人特に弱者は排除又は搾取の対象とされている。

志を持った政治家が居ても、この日本ではそれも組織の論理の前に潰されていく。
半分くらい、無所属の政治家が占めるような体制にならねば、国民の世論は反映されることはない。
政治の世界でも、組織の論理が、国民の世論より優先される。
この国の民主主義はもはや機能していない。

大企業や公共サービスに関わる者ばかりが優遇され、民間の中小企業や商店が衰退する社会。
それは、この社会が全体主義に向かっている証拠。
ベンチャー企業が育つ訳もない。

お年寄りを大切にしよう。
子供を大切にしよう。
障害者に手を差し伸べよう。
被災者を支援しよう。
メンタルヘルス対策を奨めよう。
精神障害者を理解しよう。

張りぼて社会のこの国は、表面上はこうした弱者救済を唱えながら、自らの所属する組織への利益誘導にいそしんできた。
この体たらくは、そのなれの果てなのである。その矛盾に気が付いたものが却って排除されるのである。

欧米各国が、精神科での入院、拘束をあれほどまでに削減できたのに、先進国を自認する我が国がそれを実現できないのは何故か?
それどころか、死亡退院が増加し、拘束も増加しているというこの体たらくはどう考えれば良いのか?
精神科入院患者32万人を社会に出すことが出来なければ、この日本はいつまでたっても後進国である。

国民を上げての総論賛成各論反対。
日本国憲法を総論とすれば、その下の各法は各論。
その各論は、組織の利益誘導のために整備されているのだ。

暴走族は集団では迷惑極まりないし、集団の中では犯罪を犯す。しかし、一人ひとりを捕まえて、個別に話せは案外良い奴だったりする。
私は、この国は全体が、同じような病理に蝕まれていると思う。
精神疾患とされてきた患者の多くが、そうした組織の論理の犠牲者だと思う。

野田正彰氏は私に次のように述べた。
(この通り述べたのではなく私がそう理解している)
「精神医療の問題は、その方法論、薬の使い方や治療法を問題にしても仕方がない。精神症状とは何か?怒りとは何か?眠りとは何か?さらには働くとはなにか?子供を育てるとは何か?そして幸せとは何か?人生においてそれがどのような意味があるのかを皆で考え、刑罰に値する暴力以外は容認し、その原因を皆で真剣に語り合う必要がある。その上で、国民が精神医療に何を求めるのか市民から要求する必要がある。」
野田氏の言う通り、この社会は、こうした真面目な議論を避けてきたように思う。

各地で、新しい試み(オルタナティブ)を始めるが、皆とそうした議論をしてみたいと思う。
何故、怒ったのか、何故、そこに至ったのか。
そこから、これからどう生きていくか、どう他人と関わっていくか、どう自らが選択するか、を真面目に議論したい。
その議論には、当事者のみならず、家族、支援者、医療者を交えて行いたい。