かつて、処方薬中毒で亡くなった家族に対し、
「どうせジャンキーでしょ」という言葉が投げかけられたことがある。
ジャンキーという言葉は侮辱だった。
そこには、事件の責任が、本人の資質にあるとするニュアンスが含まれている。
つい最近まで、中毒という言葉を使うことさえためらわれた。
そこにも、薬中(ジャンキー)という同じニュアンスが感じられるからだ。
それで、依存症とか退薬症状、副作用、副反応とかいろいろ使い分けていたわけだ。

だが、私は最近、薬物中毒という言葉を使うようにしている。
何故なら、依存症とか退薬症状、副作用、副反応という言葉は、なにか専門的な医学用語に聞こえるからだ。
これは、ある意味、わざと専門的な用語を使い、問題の本質を誤魔化していると思う。
一般市民が使うなら、中毒で良いと思うのだ。その方が市民はストレートに理解できる。

神戸の事件。
結局、向精神薬絡んでましたね。おまけに生活保護。
薬漬けになる環境は整っていたわけだ。

脱抑制は、抗うつ薬の副作用が有名ですが、睡眠薬でも起きます。
アルコールと睡眠薬は、作用の仕方も、作用する場所も同じなんです。
デパスを飲んだ多幸感と少量のアルコールの多幸感は同じです。
量が増えれば眠くなり、度が過ぎれば脱抑制が起きます。
さらに中毒が進むと自傷、外に向かえば他害。
脱抑制が起きれば、当然、罪悪感もなし。

アルコール中毒の弊害は認めているが、向精神薬中毒の弊害を認めないのは何故か?
麻薬中毒者の弊害は認めているが、向精神薬中毒の弊害を認めていないのは何故か?

違いは一つだけ、処方薬の絡む医原事故であることだけ。

責任は処方した医師にもあるということ。
薬ではありません。
薬そのものに責任能力ありませんから。

アルコールは嗜好品、麻薬は違法薬物ですから、本人の責任が問われるのは当然。
しかし、医薬品は違う、
基本的に、医薬品を飲むのは、何かしら治療効果を求めているからであり、少なくとも遊び面白半分の遊びで飲んだわけではない。
次に問題なのは、そうした危険性を説明せず、最近の睡眠薬は安全と触れ回った人々。
簡単に処方されることを知りながら、受診を勧めた人々。
アメリカでもそうだが、製薬会社の責任が問われるのは、誇大広告をした場合。
最後は、人々の無関心。

神戸の子供を殺したのは、表面上は実行犯だが、
加害者はいくらでもいるのだ。
無関心まで含めれば、関係ない人は実は何処にもいない。

全員で反省しなければならない。

厚労省には、すでにこのことは伝えてあるが、
知らないでやってたことと、これからやることは違う。

責任を問われることと、その罪を問われるかは別物。
少なくとも、神戸の犯人は、薬物中毒とアルコール中毒の合併症であるなら、
かれに薬の処方をした医師の医療行為はきちんと評価される必要がある。
彼に対する睡眠薬の処方に問題はなかったのか。
もし、生活保護のサービサーが彼に受診を勧めたのであれば、その行為が正しかったのか検証する必要がある。

医師に特に言っておきたいことがある(一般論ですよ)。
こういう件で私は、医療の批判を行っているが、
多くの医師は、自分たちだけに責任を押し付けられていることに気が付いていない。
薬の副作用の責任も、社会の責任も何もかもだ。
私の責任じゃないというなら、まずその責任を手放す必要がある。

周りの人々から見れば、薬の問題も、様々な社会問題も、医師に押し付ければ楽なのだ。
製薬会社にしょうもない金額の賄賂もらって、全ての責任を押し付けられるのでは割が合わない。
出来ないこと、嘘を言わされて、利用されているのはあなた方だ。
挙句の果てに、サインする書類が増えすぎて、言い訳がゆっくり診てられないからとなる。
笑止。

一番怒るべきは、医師じゃないのか。
あなた達自身が怒らないなら、被害者たちは永遠にあなた達を攻め続けなければならない。

お医者さんに相談しよう

このメッセージには、責任は全て医師にありますよ。という意味が含まれているのが分からないのだろうか?
利用されてるんですよ。
このままでは、さらに高い神棚に乗せられる。

一旦、きちんと議論するべきでしょ。

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