厚生労働大臣・厚生労働省への要望書
署名お願いします

野田氏との交流は、自死遺族の方から私の情報を聞きお電話を頂戴してからのお付き合いです。
野田正彰氏の精神科医という肩書は、勿論私にある程度の警戒感を抱かせました。
私達、被害者遺族から見れば、現在の精神科医を養成する立場であったこともその警戒感を増幅させる一因でした。
今までも、良心派と言われる精神科医にも何人も接触してきたが、その誰もが
正しい精神医学なるものがあるのか?
という私の問いに答えられなかったのです。

野田氏は、私と話すときには、遺族である私に申し訳なさそうにお話をされる。
そして、自分が信じ貫いてきた精神医学についてもとうとうと語られる。幾分言い訳じみて聞こえるが、それゆえ本心から語られているのが理解できる。
野田氏は、CCHRの創設者のひとり故トーマス・サズとも親交があった。ロバート・ウィタカーの著書でトーマス・サズは、薬物治療に反対する社会精神科医の代表として描かれているが、野田氏の語る精神医学は、それに近いものである。

具体的に野田氏から得たのは次のような内容である。私の個人的な感想であること了承の上お読みください。

うつ病患者は比較的短期間で治っていた。
薬は、壁に頭を酷く打ち付けるような生命に危険が及ぶような場合のみ使用し、
患者の症状のみならず、環境要因まで聞き取りを行い、職場に問題がある場合は、職場の人事部長を呼び、共に対策を講じた。
症状だけでなく、その人の環境や対人関係を含めた全人的な対応を心掛けた。
統合失調症にはいくつかのタイプがある。
それは、精神医学の基本中の基本、スイスの精神科医ブロイラーの人生をかけた精神分裂病患者の自然転帰の観察と分析に基づいている。
それを前提に必要な患者にのみ投薬を行う。
治療には、農業体験など院外での課外活動などを重視した。

野田氏は、光市母子殺人事件や、中国での戦争被害の研究などで、一時物議をかもしたことがある。
正直、私自身も、それらに関して、野田氏に対して疑問を抱いていたことは事実である。
しかし、野田氏と親交を深めて行くうちに、徐々にある程度の理解が出来るようになった。

社会で起きる凶悪犯罪の陰には、向精神薬の影響があるという視点は私も持っていた。
ある程度この問題に注目している人にはもはや常識である。
それに加え、野田氏には、犯罪を犯した本人を追い込んだ社会的背景や精神状態はどうであったかという視点が加わる。
それゆえ、被害者感情からは許せない見解が導き出されることもある。犯罪を犯させた社会環境や文化を問題視しているからだ。
だからと言って野田氏が被害者感情をないがしろにしている訳ではない。野田氏の著書を読んで頂ければ理解できるが、被害者に対する心配りは尋常ではないレベルである。

自死対策において、野田氏は、自死を導くようなこの日本社会のシステムそのものを批判している。
その多くは、我々が当たり前のものとして受け入れているものだ。
中小企業経営者の会社や経営者仲間への連帯保証システム、生命保険などである。私も15年間零細企業の経営をやったからこれは良く理解できる。
実際、企業融資の連帯責任を私は負ったし、銀行から融資の条件として生命保険への加入を迫られた。つまり、金は死んででも返せというシステムである。
また教育や企業に対しても、そこに根付く軍隊式組織文化を批判している。戦争時の中国での日本軍の犯罪糾弾も、その一貫した流れの中にある。
こんなことをかくと、右翼の皆さんの顰蹙を買いそうであるが、野田氏は中国軍のウイグルなどでの蛮行、韓国軍などについても同じように批判している。野田氏が批判しているのは、軍隊式組織文化とそれを容認する文化に対してである。

精神疾患患者とされている方に対して、野田氏はこんなことを言った。
「いやなら、薬を飲まなくて良いんだよ。」
この言葉が全てを現している。
野田氏の言動が、権威や組織の論理ではなく、患者(市民)の側に立っていることがわかる。

―――――ここは私の意見――――――
この活動をやっていて、よく言われるのは、
「薬物治療を否定するなら、どうすればよいのか?対案を出せ。」という言葉である。
人間が社会生活を送る限り、他者や社会と無縁でいることは出来ないし、悩み苦しむことは必然であって避けようのない物である。
その言葉は、私にこの世から悩みや苦しみを消す方法を示せと言っているようなものである。

現在の精神医療の罪は、その膨大な被害の他に、悩み苦しむ人々からそれに立ち向かい、改善する為の力を社会から奪っていることである。
職場の問題
教育の問題
子育ての問題
介護の問題
・・・・・・
全て当事者本人の病気の所為として、さらに薬で解決できるという荒唐無稽な状況が引き起こされている。
悩みや苦しみから解放されたいという思いは、人間社会の進歩の原動力である。科学も医学もそのために存在していて、科学者や医師はそれを実践する事のみにおいて存在価値がある。

病気とその治療という概念は、人間の社会生活におけるほんの一部分にすぎない。
医療が職場や教育に口を出しても良いが、医師は医療のプロでも、人生のプロではない。現在の教育や福祉の現場で起きているのは行き過ぎた医療化である。人生の悩みや苦しみを病気とすることは、社会を疲弊させるものであることを我々は共通認識とすべきである。
―――――

野田氏はこうも言う。
「精神症状は、病気ではない」

現在の精神医療が患者への偏見を訴えながら、病気のラベル張りをしていることとの違いが判って頂けるだろうか。
精神医学進歩の底流に優生学が流れていることは事実であろう。しかし、陰謀論的にそれを結びつけるのは愚かなことだと私は思う。
差別心がごく普通に我々の心に潜んでいるように、優生学のような考え方は人類に共通してあるものである。
精神医学が優生学に結びつきやすい物であることもまた確かであるが、それゆえ精神医学はこの問題にもっとも敏感でなくてはならない。

私は精神科医は、精神症状を呈する患者に対してこういうべきだと思う。
「貴方は病気ではない、あなたの環境や対人関係がその症状を引き起こしているのだ。」
そして全人的に対応する努力をすべきだと。

野田氏を通じて、私は今一度、正しい精神医療があるのかという問いを問いなおした。
その答えは、いまだ熟考中であるが、あえて現在の考えをのべると、
野田氏の言う、また実践してきた精神医療なら有っても良い、いや有って欲しいと思う。しかし、現在の精神医療の堕落は修正不可能なレベルまで肥大化し社会に浸透してしまった。いずれにしてもこのまま容認できないし、夜回り先生の言うように一度解体した方か良いと考えざるを得ないがそれも現実的ではない。それに野田氏の実践した精神医療を実践できる精神科医がそれほど居るとは思えない。

最近になって、精神医療被害連絡会に複数の精神科医が入会している。
精神科医にとって、最も敷居の高いはずの私の会に賛同することは、大した覚悟だと思う。全体を変えることは難しいが、私はこの人達と市民が求める精神医療の在り方を模索したいと思う。

5月18日、鹿児島で野田正彰氏の講演会を開催します。
ご自身で、野田氏の主張、見識を確認されることをお奨めします。
当事者、ご家族はもちろん、医療者、福祉関係者の皆様に参加頂きたい。
鹿児島セミナー

また5月24日、25日に相模大野(相模原市)で勉強会を開きます。
24日は18名限定で、向精神薬の専門的な知識を集中的に学んでいただきます。
市民の為の向精神薬入門

また25日は、薬物治療や精神科診断が、福祉の現場で引き起こしている問題(被害)について、
当事者及び現場の方に発表頂き、共に議論する会を開催します。
投薬による人権侵害を考える会