喪中の為、新年の御挨拶は控えさせて頂きます。

精神医療問題が解決しないのは、いまだ大多数の国民が問題の所在に気がついていないか、興味がないかのいずれかである。
思い返してみれば、私も実際に巻込まれて初めてこの問題に気が付いたに過ぎない。
今、精神医療の問題について啓蒙活動を行っている人々の多くもまた同様である。
多くの当事者たる患者(と呼びたくもないが)、家族もまたいまだにその洗脳の真っただ中であるし、多くの医療者はそこそこまともな医療を行っていると本気で思っている。平々凡々と暮らしている限りにおいて、この問題の本質に自ら気が付くことはまずない。
皆、普通に歩いていて、知らないうちに落とし穴に落ちたと表現するのが一番しっくりくる。

被害者を落とし穴に落ちた人だとするなら、
罪人は、落とし穴を掘った人間、落とし穴を掘る支持をした人間、その落とし穴に向かって進むこと奨めた人間、落とし穴に突き落とした人間、そして落とし穴を放置した人間である。この問題で、被害に対して責任のない人間などほとんどいない。

私は、この誰もが許せない。もちろん自分自身を含めてだ。今、共闘する反精神医療の先頭に立つ医師も例外ではない。
加えて管理を強化しようとするこの日本社会に対して絶望すら感じる。
ほんとうは国民全員とケンカしたいのはやまやまであるが、もちろん、そんな非現実的なことは出来ないし、現実的にやれることからやっていくほかない。
目的のためには、色んなことを飲みこまないとやれない。

そうした中での唯一の希望の光は、自ら間違いに気が付き自らこの運動に参加したいという人が驚くほど増えていることだ。
なんとか、そうした人びとが堂々と発言をし、行動が起こせる環境づくりをしなければならない。
精神医療問題が、ただの医療の一分野の問題ではなく、この社会の構造的なシステムや個人一人一人の思想に根差していること知れば、その解決のためには、その一つ一つを改めねば解決に向かわないことがわかる。気が遠くなるような作業に感じるが、実は私がどうこう言う前に、あちらこちらで既に始まっている。
その例を上げれば、
引きこもり用のシェアハウス。
滞在型の無農薬農業施設やその野菜を使ったレストラン経営。
薬に頼らない引きこもり就労支援、発達障害支援。
薬に頼らない高齢者養護施設。
などに見て取れる。
これらの施設に共通することは、問題を当事者の病気のせいにせず、医療(薬)に頼らず、問題に正面から取り組み、人のできることは人手によって行っているということだ。またこれらは、行政主導で始まったことではなく、民間から自然発生的に始まったことである。

こうした流れにおいて、私に何らかの役割を頂けるとすれば、これらの施設運営を自信を持って行って頂くために、精神科薬物治療の真実をお伝えすること、そうした選択肢が増え、問題を抱えた多くの当事者がそうした施設を利用できるようになることのお手伝いをさせて頂くこと。願わくば、そうした施設の一つを自ら立ち上げるチャンスを頂きたいということだ。ここ数年、やってきたのは、私自身が自信を持って主張・行動するために、理論武装することで、それはもう必要十分なレベルである。
これまでに、精神科薬物治療を幾つかの方向から検討した。
それは、医療化問題、根拠のない慣習が蔓延る医療の実態(特に医師の薬理の勉強不足は甚だしく劣悪)、最後のピースを埋めてくれたのはウィタカーが紹介してくれた薬物治療の転帰研究である。そのすべての方向の検討が、現在の精神科薬物治療のメリットは殆どないという結論に収束した。これは医療者よりむしろ医療の外にいる一般市民でなければ出来ない事だと思う。そもそも医療のことを医療が評価する方が異常である。ロバート・ウィタカ―や「善意の暴走」という言葉を作ったチャールズ・メダワーの存在が私の心の拠り所だ。この社会には、その主権者たる市民が医療を評価するシステムがぽっかり欠けている。それは医学的な評価ではなく、社会的な評価でなくてはならない。

一番の懸念は、この国の全体主義、管理主義がますます強まっていっているように感じることだ。
薬を飲まないという選択、ワクチンを打たないと選択が許されない状況になることである。
またこの国は全体主義的な傾向が強く、一度流れが出来ると国民全体が同じ方向を向くように思う。
(官僚支配が強すぎるのが原因か?)
欧米諸国も似たり寄ったりという状況だが、以前紹介したカナダケベック州(カナダでもフランス語圏)では精神保健に関わる4分の1がオルタナティブ(生物学的精神保健に懐疑的)な団体であることを考えると、遥かにマシな状況であると感じる。(アメリカはちょっと別)

大きなものをそのまま方向転換させることは難しい。
それより、横に小さく生んで育てる方が早いと私は思う。
願わくば、その小さく生まれたものが、大きく育ち、いつの間にか大を飲みこむほど大きく育って欲しい。
せめて、その存在まで否定するような国になって欲しくないというのが私の現在の心境である。

反対を叫ぶことも重要であるが、これからは実際にどう行動するかという命題が大きく重要になってきたように思う。
今年は、今まで練ってきた構想を具体化する時期に来たように思う。

志を共有し、賛同いただける皆様のご支援をよろしくお願いします。

勉強会のお知らせ
(どなたでも参加頂けます。参加料1000円)
1月12日相模大野勉強会(駅前ボーノ相模大野3F、ユニコムプラザさがみはら、13:30~)
https://www.facebook.com/events/1424902191073869/
2月2日岡山(岡山交流センター、13:00~)
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