養老孟司さんの「運のつき」を読んだ。


甚だおこがましいのだが、考え方に物凄く共感を覚えた。

ブログネタ満載。

これから、徐々に紹介させていただく。


まず、最初に胃潰瘍と心筋梗塞の話。


胃潰瘍と心筋梗塞では、それになる人間の種類が違うのだそうだ。

以前の僕が、胃潰瘍。心筋梗塞は、身近なところで僕の母親。


どちらの病気もストレスが原因で起きると言われている。


養老孟司さんは、人間と人を区別して使っている。

人は人、人間とは世間で生きるものという意味だ。

外国人は、日本人を人とは考えていないという。


日本社会は、もともと胃潰瘍の断然多い社会だった。近年は思考や食事の西欧化が加わり徐々に心筋梗塞の割合が増えているのだそうだ。


胃潰瘍と心筋梗塞の原因となるストレスは種類が違うのだそうだ。


世間に合わせなければならないストレスが胃潰瘍。

競争に勝たねばならないストレスが心筋梗塞。


若いころの僕の母親は、強烈な競争意識を持つ人だった。

その母親に育てられた僕は、常に他人と比べられて育つことになった。

ところが、僕は競争に勝たねばならないという観念より、母親の怒りをやり過ごすことに注力したのだ。


結果、僕は胃潰瘍になり、母親は心筋梗塞になった。


学生時代、サラリーマン時代、そして社長なって、つい最近まで胃潰瘍は僕の持病だった。

今では、母親は心筋梗塞ではなくなり、僕の胃潰瘍も治った。


養老孟司さんはもともと胃潰瘍もちで、30年務めた東大医学部を辞めて始めて胃潰瘍が治ったそうだ。

自分の死に対する概念(簡単に言えば、死ぬときゃ死ぬ)や楽観主義を得て、胃潰瘍が治ったというのだ。

当り前のようだが、なかなか得られる境地ではない。


著書名は「運のつき」。


死ぬ時期は自分の決めるものではないと彼は考えている。

まったく、同感だ。

運のつきで死ぬのだ。さらに長生きすることが運が良いわけでもないという。

長生きして、憂き目にあうこともざらだからという理由だ。


専攻は解剖学で、1000体の死体を解剖しているひとだ。

死を哲学的に捉えることをしないのはその所為かもしれない。


死の恐れから逃れ、楽観主義に至れば、胃潰瘍になどならない。


楽観主義を僕なりの言葉で表現すると、

なるようにしかならない。

とか、

どうしようもないことを悩んでもしょうがない。

という事になる。


僕の父親より若干年下である氏の話を読めば、

日本は昔から、胃潰瘍型ストレス社会であったことがわかる。

今に始まったことではない。


日本人は人ではなくて人間なのだと彼はいう。

確固とした個を前提とした人ではない。

世間様あっての自分。

人より抜きんでることは、世間を騒がす。

だから、人並に仕事するのが一番よいとなる。

皆が、仕事をしない環境なら仕事をしないのが常識となる。


世間を大事にするその特性によって、

世界一エネルギー効率の高い国が出来たのも事実だろうし、この狭い国土にたくさんの人がいるからこそ、効率的な社会を作れたのも事実で、もっと誇って良いとも彼は言っている。


広くて資源もたくさんある中国に何やってるんだという権利は日本人にはある。


だが結論として、彼は今の自分にとても満足していることが読み取れる。

胃潰瘍が無くなったことをほんとに喜んでいるのだ。


死体を解剖するように、なんでも解剖する方法論が身についているという。


人体を知るには、ひとつひとつ胃やら腸やら分解せねば何にもたどり着けない。


ここで例の僕の持論だが、

やはり、好きは分解したほうが良い。


この人の何が好きで、何が嫌いか、

結果それが社会常識に照らし合わせて、人に言いにくいことでも良いのだと思う。

(たとえば、お金持ちが好きとか、セックスがうまいからとか)

そう思うのは本人の自由だ。

頭の中まで世間に合わす必要はない。

だから何?ってこと。


そう考えれば、胃潰瘍はなくなる気がする。


最後にタイムリーな一文があるので紹介したい。


そろそろ素直に考えてみたらどうですかね。私は日本人か、アメリカ人か、って。

国際人と思っている人もあるでしょうね。それなら英語で考えているんですか、日本語で考えているんですか。

方法(言葉)は重要ですからね。

日本語で考えているなら、諸行無常と無我くらいは自分で考えて、当否を決めてください。その結論はあなたのもので、私の知ったことじゃありません。その結果、「新しい日本」ができていくわけです。アメリカ流の金融システムを作るから「日本が変わって行く」わけじゃありませんよ。「身につかない」ものは、どうせ身につかないんですからね。


運のつき 養老孟司著

平成19年4月1日発行。