【今回の記事】

【記事の概要】
   2017年2月6日放送のバラエティ番組『好きか嫌いか言う時間』(TBS系)でタレントの武井壮さんが「いじめの責任」に持論を展開し話題になっています。
いじめが起こった時、先生は対処するべき
しかし、その責任を学校や先生に取らせるというのは絶対に違う。それは、個人と親が負わなければダメです子どものことで時間を使って育てるのは親その子の人間性を理解しているのも親
いじめの責任は当事者と親が取るべきそうだろう。補足するとするなら学校でいじめがあるのは普遍的な事なぜ親に言わないのか、言えないのかそこを考えてほしい。

【感想】
「いじめの責任は学校が取るべきか?親が取るべきか?」この問題に武井壮さんがズバリと持論を主張されました。

   さて、私は以前に以下のような記事を投稿しました。
この記事の中で「いじめは加害者が置かれた環境の中で抱くストレスを発散させることで起きる」という専門家の主張(滝1996)を紹介しています。子供の置かれる環境とは大きく分けて2つあります。一つは家庭、もう一つは学校です。
   まず学校について言えば、子供が受ける主なストレスの素は、教師から受ける否定的な言動です。学級集団の中で問題行動を起こす子どもがいると、担任教師はどうしてもその生徒に対して否定的な印象を持ちがちです。そのレッテルを貼られた生徒は、学級、学校生活の中で、毎日ストレスを抱きながら生活しなければならなくなります。

   では、学級集団の中で問題行動を起こす子どもと起こさない子どもとでは何が違うのでしょうか?それは家庭での教育の仕方です。学級集団の中で問題行動を起こす子どもは家庭の中でもストレスを感じています。つまり、家庭の中でストレスを受けているためにそれを学校生活で発散させ問題行動を起こしているというケースが多いと思われます。

   ということは、子供のストレスの元は、結局は家庭内で受けるストレスということになりそうです。では、いじめの責任は武井壮さんがおっしゃる通り家庭にあるのでしょうか。実は、決してそうとは言い切れないのです。
   実は、小中学校教育の目標の中には、次のような事項が含まれています。
「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」(学校教育法より抜粋

   つまり、学校や学級での人間関係について正しく理解し協同できるようにさせる事は学校が果たさなければいけない指導事項であり、「いじめ」という望ましくない人間関係を正さなければいけないのは学校の仕事なのです。ですから、いじめ問題が起きる度に、その学校を指導する立場にある教育委員会が謝罪会見を開いているのです。

   しかし現実的に、適切とは言えない家庭教育のために、まだ未発達な子どもが家庭と学校の両方でストレスを抱えているとすれば、「いじめ」という“ストレス爆発行動”に走るのは想定の範囲内の出来事です。そして、そのストレスの発散の場となっている学校では、発生するいじめ問題に奔走しています(ただし、最近耳にする教師によるいじめや学校によるいじめの隠蔽は問題外です)が、それはまるでモグラ叩きのような作業で、今の家庭教育のままではいじめは永遠になくなりません。

   しかし、子育ては誰にとっても初めての大仕事で、多くの親御さんが悩み苦しんんでいます。では、その家庭教育を正しい方向に導くのは誰の仕事でしょうか?もちろん学校の仕事ではありません。
   私はそれは国がするべき仕事だと考えています。国民の家庭教育の旗振り役は国なはずです。ましてや、障害者施設殺傷事件を起こした植松容疑者のように、まさか乳幼児期の養育の在り方が人間の一生の人格に影響を与えることなど、誰も知る由もありません。専門家集団である厚労省や文科省が中心になり、乳幼児期からの養育や就学以後の子育て等の望ましい家庭教育の在り方を国民に示してほしい、そう思います。