【今回の記事】
<広島・中3自殺>誤った進路指導が要因…第三者委が報告書

【記事の概要】
 広島県府中町で昨年12月、町立中学3年の男子生徒(当時15歳)が誤った万引き記録に基づく進路指導の後に自殺した問題で、町教委が設置した第三者による調査検討委員会(委員長、古賀一博・広島大教授)は3日、「誤った進路指導が自死(自殺)の要因の一つであり、きっかけだった」とする報告書を公表した。
   報告書によると、生徒は私立高の専願受験を志望したが、昨年12月、担任から「1年の時に万引きをしたから認められない」と伝えられた。生徒は同8日、両親が出席した三者懇談会に現れず、自宅で自殺。その後、万引きに関与していないと判明した。
   第三者委は、教育学の教授や弁護士、臨床心理士ら5人で構成。今年3月末以降、計25回の会合で自殺の背景や学校の対応、再発防止策について調査、協議した。生徒の両親や中学の教職員、関係の深かった同級生4人などからは話も聞いた。
   その結果、同委は「この生徒と教員との間に日常的な信頼関係が十分に構築されていなかった」と背景を指摘。問題点として▽組織的な生徒指導、進路指導の欠如「荒れ」の克服にとらわれた強権的、抑圧的な指導--などを挙げた。

【感想】
   未だに記憶に新しいこの事件。当時の詳細を報じた記事は以下を参照していただければと思う。
生徒への教諭指導 学校説明『立ち話で』」

   記事によれば、今回の事件は、
①「組織的な生徒指導、進路指導の欠如」②「『荒れ』の克服にとらわれた強権的、抑圧的な指導
によって、この生徒と教員との間に日常的な信頼関係が十分に構築されていなかった」ために起きた事件であるということである。

   まず、①「組織的な生徒指導、進路指導の欠如」についてであるが、上記参照記事によれば、「自殺した生徒の担任教諭が生徒から万引きの事実を確認した際、廊下でいずれも5〜15分程度の立ち話で済ませていた」とのことだった。このような、単発的で計画性のない生徒指導では、記録も残らず、その後の生徒指導に生かすことは到底できない。何より、「廊下」といういつ誰が通るかも分からない場所で、万引きの有無を確認しようとした、生徒の心情を尊重しない無神経極まりない指導姿勢には呆れるばかりである。そのような生徒の心を無視した生徒指導では、子供たちの教師に対する信頼感は薄れていくばかりである。

   次に、②「『荒れ』の克服にとらわれた強権的、抑圧的な指導」についてであるが、生徒の荒れた生活態度を力づくで直そうとする生徒指導が未だに行われていることにまず驚く。家庭や学校の中で、結果だけにとらわれ自分の言い分も聞いてもらえず力づくで指導されてきたために心が荒れた生徒たちに対して、更に力でおさえこもうとするのは「火に油を注ぐ」行為である。なぜ生徒たちの生活が荒れたのか?を考えれば、その指導姿勢が間違っていることにすぐ気付くと思うのだが…。
   神奈川県に県立田奈高校という高校がある。この高校は、一時、入学しても途中で退学してしまう生徒が多数出ていた県内でも荒れた高校として有名だった。しかし、ある年に転勤してきた校長の方針で、とにかく生徒の心情を尊重して、その時その時の生徒の気持ちを聞こうということになったそうである。そこで生まれたのが「廊下での対話」という指導体制であった。しかし、その「廊下での対話」で話し合われるのは、先のような正式な進路指導でもなく生徒指導でもない、単なる世間話であった。廊下にたむろしている生徒達に、教師達の方から笑顔で歩み寄り、「どうだ、最近は?元気でやってるか?」等と穏やかに話しかけるのだ。心が荒れていた生徒達は、次第に先生達に心を開くようになり、その後学校はみるみる立ち直っていき、県外からも教師達の視察団が訪れるまでになった。まさに、「力」ではなく「心」で子供達に接した結果であった。
   私なりの考えを言わせていただければ、この田奈高校の生徒達は教師達に「愛着(愛の絆)」を形成したのである。このことについては、以下の投稿記事を見て頂ければ、田奈高校の教師達が生徒達に対して行った接し方がまさに愛着形成の支援によるものであったことがご理解いただけると思う。
愛着形成(愛着形成のやり直し)の仕方