【今回の記事】
その叱り方、まずいかも?「年中無休の怒り屋」を卒業するポイント

【記事の概要】

保育園、幼稚園、小学校で騒がしいクラスってありますよね。

どうして静かに出来ないの!お口はチャック!」と先生がずっと注意しているのに、クラスはざわついていますそこで先生は「子どもがうるさいので自分の声が通らないだろう」と考えて輪をかけて大声で話します。完全な悪循環……

   でも、指導力のある先生はそんなことはしません。黙って前に立ち微動だにしないで、子ども達をじーっと見つめます。そして、小さな声でこう呟きますあれ、今、何をする時間かしら……」

すると、普段の担任とは違う雰囲気、緊張感、空気を察して子ども達同士で「静かにしようよ。先生がジロッて見ているよ」とお互い注意し合ったりします。そして、いつの間にか静かになります。


子どもの躾も同じです。機関銃のように365日年中無休で叱っても、その小言は左耳から右耳へ抜けてしまいます“馬の耳に念仏・馬耳東風・暖簾に腕押し・ヌカに釘・蛙の面に水”状態ですね。

躾けは口か、ら出る言葉だけではなく、態度で示した方が効果的なんです。言葉そのものでなく、見た目、声の質、速さ、大きさです。


少し嫌味な言い方もまた効果があります

●おもちゃをなかなか片づけないとき

「散らかさないの!」「片付けなさい!」→「わあ、こんなに散らかっているのはちょっと嫌だな……

●食事中おもちゃを離さないとき

「おもちゃで遊びながら食べてはいけません!」→「え、御飯食べるとき、おもちゃを使うの?」「え、御飯食べるときおもちゃを出しちゃうんだー

●食べ物を残すとき

「好き嫌いしてはいけません!」→「わあ、こんなに美味しい物、残しちゃうんだー」「ママが一生懸命、作ったのにな。残念。」

少しねちっこいかもしれませんが、子どもはハタと気付いたりします。


【感想】
   この記事を書かれた方は、本も出版し講演会も開いている専門家の方のようですが、若干賛成できない点があるので、その点も含めて私なりの感想を述べさせていただきます。

   冒頭の学級担任の話はその通りです。いつも子どもをどなりたてている先生の学級は、既に子どもの感覚が麻痺して、先生の話を全く聞きません。それよりも、意図的に小さめの声で話しかけた方が子どもは聞きます。そのことについては、以前、以下のように投稿しました。ご参照ください。
「『静か過ぎる保育園』が話題に 〜主体性と社会性の育成がカギ〜 ②

しかし、記事の中の以下の表現が気になります。
「黙って前に立ち微動だにしないで、子ども達をじーっと見つめます。そして、小さな声でこう呟きます。『あれ、今、何をする時間かしら…』」
そして、この教師の言動に対する子どもの反応が「静かにしようよ。先生がジロッて見ているよ」です。
   小さな声では話していますが、明らかに、子どもに対して威圧的な態度をとっています。ですから、子どもも「先生がジロッて見ているよ」と、先生からにらまれているという印象を持っています。結果的には、静かになるかもしれませんが、「蛇ににらまれたカエル」の状態です。また、「あれ、今、何をする時間かしら…」という言葉もどこか嫌味を感じます。子どもたちに対する温かさが感じられません。これでは、子どもたちは教師に対して愛着(愛の絆)を形成しません
   また、後半の「少し嫌味な言い方もまた効果があります」という母親の言動も同様です。「嫌味」はあくまで「嫌味」でしかなく、それは子どもに対して否定的な接し方です。それなら、真正面から言われた方がまだマシです。ただし、「!」が余計です。「散らかさないの!」「片付けなさい!」という刺激的な言い方になると、冒頭の騒がしいクラスの学級担任と同じです。この「!」に刺激されて、かえって反発してしまう子どももいます。

   注文ばかりつけていては建設的ではないので、次回で、私なりの子どもたちへの接し方(教師編と親編)をお話ししたいと思います。(続く)