あるお子さんのエピソードを紹介します。

   S男が通園している保育園で、S男が肘を脱臼したという電話がお母さんの職場に入ったそうです。園の先生がすぐに病院に連れて行ってくださり、病院の先生に関節を戻してもらったとのことでした。S男自身は、関節が治ると、すっかり元気になったそうです。だから、お迎えはいつも通りの時間で構わないとのことでした。そのお母さんがお迎えのために園についたとき、S男はニコニコしてブロックで遊んでいたそうです。しかし、ぶっとS男が振り向き、お母さんの存在に気づいた瞬間、S男の表情がみるみる険しくなり、片方の腕をお母さんの方に差し出して、「いたい、いたい」と訴えながら目に涙をためてお母さんへ駆け寄ったそうです。これは一体どうしたことでしょう。お母さんが迎えに来た時に偶然痛みが再発したのでしょうか。いえ、そうではありませんでした。このお母さんとS男の間には愛着が形成されていて、S男にとってはお母さんが安全基地としての存在になっていました。S男は、その安全基地の外で、腕が抜けた痛さや、知らないお医者さんに痛い腕を触られた不安と気丈に戦っていたのです。そして、夕方になりお母さんという安全基地を見つけるなり、その基地に飛び込み、それまでの痛みや不安だった気持ちを癒したのです。
   その一方で、2015年に千葉県柏市の17歳の少年が全裸で遺体となって発見された事件がありました。その少年は、殺害される前に友人にLINEで「命狙われてる」「居場所がない「俺の家バレてる」と必死にSOSを発信していたそうです。私はこのニュースを見た時に「なぜ自分の親にSOSをださなかったのか」と思いました。もし親に相談していれば、親は速やかに警察に連絡し、命の危機を救ってもらえたはずです。また、この事件以外にも、例えばSNS絡みで子どもが重篤なトラブルに巻き込まれた時などに、子どもが親に相談しない事例が数多くあるのだそうです。つまり、それらの子ども達にとって、親は安全基地としての存在ではなかったのかもしれません。なぜ、親が安全基地になり得ない場合があるのか、ということについては、後々お話ししていきます。

   親子の間で愛着を形成し、子どもが安全基地としての親の存在を持つことが、いかに大切かということが分かります。