今回は、私の体験談をご紹介します。

   私は、以前、担任していたわけではなかったのですが、指導スタッフのシフトの関係から、知的遅れを伴う重度の自閉症の5年生の女の子A子と給食時間だけ一緒に過ごしていました。その女の子は、いつも強いストレスから、自分の手首を噛んでいました。言葉もしゃべれないので、なかなか自分の思い通りの環境にならない事が多かったのだと思います。
   その頃の私は、「セロトニン5」の支援の仕方も知らなかったのですが、できるだけストレスの少ない穏やかな環境を作ろうと、いつも笑顔で優しい語り口調で話しかけていました。「セロトニン5」については、本ブログの全ての子どもの気持ちを安定させるスーパー支援法『セロトニン5』」(http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12180917124.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=8e57e0d77be746968fd7308a6a625313)をご参照ください。

   そんなある朝の事です。私は職員室にいたのですが、特別支援学級の子どもが血相を変えて、「先生たいへんです!Aちゃんがあばれてます!」と職員室にいる私に教えに来てくれました。私は、慌ててその教室に行ってみると、その暴れているA子が、周りの子供達から押さえつけられて、もがいていました。そこへ私が「Aさん、どうしたの?」と声をかけると、不思議な事に、それまで力の限り暴れていたその女の子は、スーっと暴れるのをやめ、何事もなかったかのように落ち着いたのです。私自身びっくりしました。
   そのわけを自分なりに考えてみました。暴れていたその子は、明らかに私を見た瞬間に暴れるのを止めました。という事は、あの子にとって私が精神安定剤か何かのような存在になっていたのかもしれないと、「愛着」の考え方を知らなかった当時の私は思いました。

   しかし、今になって考えてみれば、給食時間の時に、笑顔で優しい語り口調で話しかけていた事によって、いつの間にかあの子にとって私が「愛着」の対象となっていたのだと思います。つまりあの子にとって私は、「この人は私を助けてくれる人だ」と思える「安全基地」としての存在になっていたのかもしれません。あの朝、何らかの事がきっかけで過大なストレスがあの子に降りかかり暴れていたところに、自分の「安全基地」が現れ、そこへ避難することができたのです。改めて、子どもにとっての「安全基地」の存在の大きさを知りました。なお、「愛着」や「安全基地」の考え方については、本ブログの
人の一生を左右する乳幼児期の愛着形成の大切さ(修正最新版)」(http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12166236151.html
をご参照ください。

   しかし、驚くべきは、1日のうちのわずか給食時間だけでも愛着形成ができるということです。改めて、子供との一コマ一コマを大切にしなければならないとその子供から教えられました。