今「ポケモンGO」の配信によってそれまで家の中に引きこもっていた人たちがそのゲームをきっかけにして、外に出てくるようになったと話題になっている。

   そもそも、引きこもりはなぜ生まれるのだろうか?
   以前このブログで「過保護や教育熱心過ぎる親の子どもは、いじめに遭う確率が高い?」(http://s.ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12182354121.html)という内容の投稿をしたことがある。
   引きこもりは、このいじめがきっかけになり生じる場合が多い。「過保護や教育熱心過ぎる親の子どもは、いじめに遭う確率が高い?」の投稿で次のように述べた。「常に親からの指示によって動かされているので、自分で“意思決定”するのが苦手である。つまり、友達から意地悪をされた時に、『やめて!』が言えないのである。こういう子どももいじめの対象になりやすい。」
   実は、過保護や教育熱心過ぎる親にそだてられた子どもには、この「やめて」が言えないということの他に、いじめに会う要因がある。
   普段家の中では過保護や教育熱心すぎる親によって、あらゆることを親の指示通りにしたり、あるいは代わりにやってもらったりしている。しかし、学校には、普段教えてくれたり手伝ってくれたりする親はいない。そのために、いろいろなことを自分の力ですることができない。着替えが遅い、帰りの会のときの道具揃えに時間がかかる、給食の時にパンに塗るジャムのビニール袋を自分で開けることができない等々。
   周囲の子供たちは、このような“自分で自分のことができない”友達を馬鹿にし、いじめにかかる。しかしその子は、「やめて」が言えないために、いじめはいっそうエスカレートしていく。いじめに会い始めた子どもは問題が解決されない限り、遅かれ早かれ学校に登校できなくなる。それが、子供たちの考え方が大人になり始める高学年の頃である。周りの子供たちはどんどん“大人”になっていくが、自分のことが自分でできない子は周りの子にとっては“子供”のままに映るために、集団の中で“浮いた存在”になるのである。
   登校できなくなった子供は、すでに高学年の発達段階に達しているため、体も大きく力も強くなっている。以前は、ああしなさい、こうしなさいと口うるさく言っていた親も、さすがに大きくなった子供に対してはだんだん言いにくくなってくる。それでも勇気を出して「学校に行ったほうがいいんじゃない?」と聞いてみると、「うるせえ!クソばばあ!」と返ってくる暴言にもうなす術もない。
   こうして、引きこもりは生まれるのである。