http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2811391.htm (「那覇市 生後まもない赤ちゃんが置き去りに」)

   赤子の命には別状はなかったが、看過できない事例である。発見が遅れたら最悪の事態になっていたかもしれない。へその緒がついたままだったということで、おそらく、母親はかなり若い女性ではないだろうか?もしかしたら、まだ学生かもしれない。あくまでも憶測に過ぎないが、少なくとも、今までもそういう事例は多く見られた。親にも相談できず、やり場に困っての行動だったのではないか?
    他にも、昨今はどの子どももインターネットをするので、ネット絡みで、ゲームのアイテムを購入しているうちに大金の請求が来た、SNSで知り合った見ず知らずの男の人から恐喝された、など、子ども一人ではどうにもならない事態に追い込まれることが少なくない。
   ある講演会で聞いたのだが、そういう時に子どもたちが相談する相手は、圧倒的に友達が多いそうである。親に相談する子はほとんどいないのだそうだ。なぜ親に相談できないのか?ことが事だけに、親に話せば厳しく怒られると思うのかも知れない。
   つまり、今の子どもたちにとって、親は“安全基地”としての機能を果たしていない(愛着が形成されていない)ということである。
   繰り返しになるが、子どもたちが“安全基地”を持てない、つまり愛着を形成できないのには3通りある。
①  乳児期に親からあまり構ってもらえなかった場合(回避型) 
②  乳児期の親の育て方が、気分次第であったり、子どもに対して「……ねばならない」というこだわりが強すぎるために、親の理想の姿でないと強く否定され叱られたりする環境で育った場合(抵抗/両価型)
③  乳児期に、親から予測不可能な虐待を受けた場合(混乱型)

   これらのような養育を乳児期から受けた場合は、親は子どもからの信頼を得ることができず、“安全基地”としての存在になり得ない。その結果、大事の事態に追い込まれた時に、子どもたちは、親ではなく友達に相談するしかなくなるのである。
   特に精神科医の岡田氏が危惧しているのは、②の場合である。教育熱心“すぎる”親御さん過保護な親御さんが急増しており、そのために、親の理想の姿でないと強く否定され叱られるケースがどこの家庭でも起こり得るというのだ。
   そういう生活を繰り返していれば、いざという時に親に相談できない子どもがいるのも無理はないだろう。