新華社通信、佐藤充さんが中国人就学生を助け、犠牲になった姿を詳報 | 福岡占いの館「宝琉館」 ホウリュウの開運鑑定ダイアリー

福岡占いの館「宝琉館」 ホウリュウの開運鑑定ダイアリー

福岡占いの館「宝琉館」の深川宝琉館長が占い(運命学)について綴る開運ダイアリーです。運命学も各占術の書籍のみに盲従せず、実占を通して活きた開運学に醸成することが肝要。おもむくまま雑感を記します。


 宮城県牡鹿郡女川町の「佐藤充さん」。この名前を中国人は感謝して永遠に忘れないであろう。!!


 3月11日の東北関東大震災(東日本大震災)でマグニチュード9.0の地震が発生した後、宮城県牡鹿郡女川町の水産会社「佐藤水産株式会社」 役員だった佐藤充さんは、「地震で津波が来るから早く避難しなさい」と叫びながら中国人研修生約20人を連れて高台に避難した後、自分の家族を捜しに戻り、研修生たちの目の前で津波に呑み込まれて犠牲になった。


日を新たに命を立つ ホウリュウの開運鑑定ダイアリー  中国国営の新華社通信は、自分の家族よりも先に中国人就学生たちを救った佐藤充さんの姿を詳細に報道。右の画像は、この新華社電を北京紙「新京報」3月17日付で大きく掲載した紙面です。


 日本人の自己犠牲愛の姿に中国人も、ただただ深く頭を下げた。!!


 中国では、歴史認識問題では、反日教育を受けているが、今回ばかりは日本人への見方が徐々にですが、変わりつつあるようだ。


 中国人就学生を受け入れていた佐藤水産株式会社 は、東京築地始め、主要都市に出荷をしてきた昭和30年創業の生ウニ、イクラを扱う老舗。従業員63人で、「さとうの生うに」といえば、全国の専門店・有名寿司店によく認知されたブランドでした。


 中国人20名の貴い命を救った企業。何とか、日中が協力して再興支援をしていければ、と願うのみです。


 以下、新華社通信の記事の日本語訳と中国語原文です。


日本人社員、20人の中国人研修生を助けて避難させた後、津波に呑み込まれて行方不明
2011年03月16日 11:12:48 新華社記者 馬傑 劉華


 「地元の人々の助けがなければ、私たちはとっくに死んでいたでしょう」。


 中国・大連出身の研修生・衣亜男さんとその仲間は宮城県牡鹿郡女川町で目に涙をためながらこう語った。


 女川町は今回の大地震で人口約1万人のうち半数以上が今も行方不明。町内は一面の廃墟と化し、海岸線にはいくつもの遺体が打ち寄せられた。鉄道車両は津波で真っ二つとなり、レールから数十メートル離れた山に打ち付けられた。これほど深刻な被害を受けた女川町で約100人の中国人研修生が難を逃れることができた。多くの人は地元の人の助けにより九死に一生を得たという。


 地震発生時、地面が激しく揺れた。佐藤水産株式会社の中国人研修生20人は宿舎付近の高台に避難した。まもなく、同社の佐藤充専務が「津波が来たぞ!」と叫びながら走って来て、彼女たちを連れてさらに高い場所にある神社へと避難した。研修生を避難させた後、佐藤専務は妻と娘を探すため宿舎に戻った。しかし、宿舎はまもなく津波に呑まれ、佐藤専務はそれっきり戻ることは無かったという。


 衣亜男さんは涙に咽びながら「佐藤専務は逃げ道がなくなり、屋上で右往左往しているうちに水に巻き込まれてしまいました。何度かは持ちこたえましたが、すぐに見えなくなってしまったのです」と語った。研修生の張軍燕さんがデジタルカメラで撮影した映像には、命の恩人である佐藤さんが津波に呑まれるのを、「早く逃げて!」と泣き叫びながら見守るしかない女の子たちの姿が記録されていた。張軍燕さんによると、佐藤専務の妻と娘もまだ行方不明のままだという。


 災害当日の夜は大雪となり、研修生たちは行き場が無かった。佐藤専務の兄、佐藤水産の佐藤仁社長は家族を失った悲しみに負けず、山の上に住む友人の家を一晩中かけて探し、そこに研究生を避難させてくれた。佐藤水産の研修生管理を担当する杜華さんは「地震の翌日、佐藤社長は私を見て『杜華、20人全員助かったぞ!』と言いました」と語る。


 岡青株式会社の社長と部長も中国人研修生を助けてくれたという。彼らは地震後すぐに車で5人の研修生を付近の山に運んだ。大連出身の曹晶さんは「その夜、社長は私たちを山頂の温泉旅館に避難させてくれました。彼らはその時、自分のお子さんすら見つかっていなかったのです」と述べる。状況が安定した後、彼女たちは現地で最大の避難所に連れて行かれ、数十人の中国人の仲間と合流したという。


 避難所では、彼らは1日に2食から3食の食事が保証されている。情報が広まるに伴い、ますます多くの救援車両が到着し、補給も次第に足りてきた。


 曹晶さんは「皆さんの助けが無ければ私たちは一体どうなっていたことか。想像することもできません」と述べる。時間との戦いとなる避難の中、地元の人々は全ての命を同様に扱い、尊重してくれた。研修生たちはこのことを一生忘れないだろう。


新華社原文は以下の通りです。

http://news.xinhuanet.com/world/rbqz/2011-03/16/c_121193758.htm


日本员工帮助20名中国研修生避难后被海啸吞没

2011年03月16日 11:12:48  来源: 新华网
新华网日本宫城县女川町3月16日电 大灾来时有大爱 宫城县女川町百名中国研修生受助生还
新华社记者马杰 刘华
“要不是这些当地人的帮助,我们早就没了!”来自中国大连的研修生衣亚男和同伴们在宫城县女川町含着泪水感激道。
女川町约一万人口,一半左右至今下落不明,记者在这里看到,城镇一片废墟,海岸边堆放着几具被海浪冲上来的遗体。一辆日本国营列车被海啸拆成两截,拍打在离海岸轨道几十米以外的山边。在这样一座受灾惨烈的小镇,近百名中国研修生无一遇难,而很多人能够逃生,是因为身边有给予帮助的当地人。
 灾难发生时,地动山摇,佐藤水产株式会社的20名中国研修生逃到宿舍附近一处地势较高的地方,不一会儿,公司专务佐藤充跑过来,喊着“海啸来了”,随后带着她们跑到更高处的神社避难。安顿好研修生后,佐藤充又冲回宿舍楼,试图找寻妻女。但宿舍楼很快被海啸淹没,佐藤充再也没有跑出来。
 “我们看到他被逼得无路,在房顶上左跑右跑,最后还是被卷到水里。一开始还扑腾了两下,很快人就不见了,”衣亚男哽咽着说。研修生张军燕用相机拍摄下了整个过程,视频里,女孩们尖叫着、哭喊着“快跑啊”,却只能看着救命恩人佐藤充被海啸无情吞噬。张军燕说,佐藤充的妻女到现在也下落不明。
 灾难发生当晚,大雪严寒,研修生们无处可去。佐藤充的哥哥、佐藤水产社长佐藤仁不顾自己家被冲走的悲伤,一晚上都在找山上的朋友借房子,暂时将研修生们安置进去。平时负责佐藤水产研修生管理的杜华说:“灾害发生第二天,佐藤仁见到我的第一句话就是: 杜华,20个人一个都没少! ”
 冈青株式会社的社长和部长也没有忘记中国研修生,他们第一时间开车将5名研修生送到附近山上。“当晚,社长给我们找了一间山顶的温泉旅馆避难。那时,他们连自己的孩子都还没找到,”来自大连的曹晶说,等情况稳定后,她们又被转移到当地最大的避难所,和几十名中国同胞团聚。
 在避难所,研修生们一日可以保证有两到三餐。随着受灾信息被外界更多人知道,赈灾车辆越来越多,补给也逐渐充足。“我实在不敢想象如果没有这些人的帮助我们会怎样,”曹晶说,在这场与时间赛跑的逃生中,这些当地人对每一个生命的同等尊重,将让得到救助的研修生感动一生。(本文来源:新华网)




 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★





 私はこのブログで「中国では、歴史認識問題では、反日教育を受けているが、今回ばかりは日本人への見方が徐々にですが、変わりつつあるようだ」と書きました。


 その「変わりつつある」動きを少し紹介します。


 中国のネットフォーラムや直接、中国人や香港人と交流していて見えてくるのは、歴史認識問題の壁です。親しくなると、必ず、靖国問題、南京事件について言ってきますが、不思議なことに中国人で配偶者が日本人という場合、その感情トーンが落ちます。実際に日本人と生活を共にしているからです。


 逆に、日本人との直接交流が皆無の状態で、江沢民時代に中国の愛国教育を受けてきた世代は、反日、抗日的な観念が強いですが、これは、国の教育で「三つ子の魂百まで」なのでなかなか変えようがありません。中国国内で起こった反日デモの様子を見れば明らかです。しかし、このような人々が「徐々に変わりつつある」というのが非常に重要です。


 このような「八〇後(パーリンホウ=1980年代以降に生まれた中国の若者世代)」「九〇後(ジュウリンホウ1990年代以降に生まれた中国の若者世代))」の中でも日本のアニメ文化に深く影響を受けている人は多いです。日本に一度も行ったことのない中国人の若者の中には、中国語の字幕が入った日本のアニメを見た人が「億単位」でいます。「ドラエモン」「ポケットモンスター」「クレヨンしんちゃん」「鉄腕アトム」「スラムダンク」。最近では熱狂的な「ワンピース」のファンも増えています。彼らは中国の公的教育機関で教えられてきた抗日的な考え方と日本アニメの魅力のギャップに大きな違いを感じていることも事実で、その葛藤があります。


 中国共産党機関紙、人民日報傘下の中国紙「環球時報」 は3月16日付で「日本に温かい支援の手を差し伸べよう」と支援を呼びかける声明を学者100人の意見広告の形で発表しました。100人の中には対日強硬派の学者も含まれ、異例の支援を展開しています。


 中国紙「環球時報」といえば、週に三回、発行される中国では珍しい国際情報の専門紙ですが、尖閣諸島問題をはじめ、日本の問題については非常に厳しい論調で有名な中国メディアです。北京に留学した時、時々、読んでいました。


 同紙のネットフォーラムでも佐藤さんの話題を提示。対日強硬派の論陣一色を占める同紙のフォーラムでも「涙が出る。災害に直面してこんな善意ある勇敢な行動をする人がいるのか」「普通の人ではできない行動。敬意を表する」「友情ある行動。モンゴロイド同士として団結せよ」との讃辞の書き込みがありました。


 その一方で「日本が南京で30万人を虐殺したことを忘れるな」「日本の中国人研修生は苦しく、辛い。奴隷のような生活をしている」など相変わらず厳しい意見も半分ほど占めていますが、愛国を鼓舞する同フォーラムで日本人に讃辞を送る意見が出ていること自体が非常に珍しいことで、実は非常に画期的です。


以下、同フォーラム http://bbs.huanqiu.com/thread-547509-1-1.html )の書き込み内容の一部です。


感谢救援中国人的日本人,但是中国研修生在日本所遭受的委屈
(中国人を救った日本人に感謝するが、中国研修生は日本で辛い思いを経験している)



呵呵,大家都要互相帮助
(ああ、みんなもお互い助け合おう)



作为公司专务,他尽到了自己应尽的责任!危机时刻还能想到自己的下属,想到没有受过防灾训练的外国人,真是值得敬佩,这不是一般人能做到的啊。向其致敬! (会社の専務さんは自分の責任を最後まで全うした!危機的状況の時、自分の部下を思い、防災訓練を受けたことがない外国人のことを思う専務さんの行為に敬服します。一般人にはできない行為。敬意を表します)



我要流泪了。为灾难中的遇难者祈福,人性中的光辉能够照亮狭隘的黑暗,面对灾难来临时表现出的善良和勇敢,生命~!伟大~!
(涙が出ました。被災した人々のご冥福をお祈りします。人の中にある光は狭い暗闇を照らします。災難に直面した時の善良なる行為。生命は偉大だ!)



汗,不要忘记了,日本在南京屠杀了30万,30万,一个都没有少
(ああ、忘れるな。日本が南京大虐殺で中国人を殺害したのは30万、30万。それでも少ない)



在日研修生,很苦,很累的,,甚至可以成为是”家奴“
(在日研修生はとても苦しく疲労困ぱいしている。さらに「家の奴隷」になっている)



这就是友好的行动。蒙古利亚人就是应该团结起来。
(まさしく友情あふれる行動。モンゴロイドは団結しよう)



在上世纪20-40年代日本人推行军国主义、武士道,情况和现在的部分中国愤青一样愚昧。现在的情况是:日本国民远比中国国民成熟冷静,远比这个民族有道德。
(前世紀の1920年~1940年代の日本人は軍国主義や武士道を推進した。その状況は現在の一部の超愛国的な怒れる若者グループと同じ愚行だ。現在の状況を見れば、日本人は中国人よりずっと冷静で成熟しているし、民族的に高い道徳を持っている)