シゲ福山vsWBC世界フェザー級王座変遷の歴史 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1974年9月19日(現地時間)、ロサンゼルスでWBC世界フェザー級4位ダニー・ロペス(米)を9回KOにしとめ、『世界王座挑戦権』を横取りしてしまったシゲ福山(協栄)選手は、試合の4日後に凱旋帰国。”第2のシンデレラボーイ”として大いにもてはやされた。


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当時のWBC世界フェザー級王者は、アルフレッド・マルカノ(ベネズエラ)との王座決定戦に勝ち、王座に就いたばかりのボビー・チャコン(米)。福山選手はロペスに代わって、12月17日、イングルウッド・フォーラムでチャコンに挑戦することが決まった。


しかし、この計画は地元プロモーターとTV局の思惑が一致せず流れる。日本側は福山選手の世界挑戦を日本で実現させるべく交渉を開始。初防衛戦が宙に浮いたチャコンは王座獲得から半年後の、1975年3月、へスス・エストラーダ(メキシコ)を軽く2回でKOし初防衛に成功。


福山選手は待たされる形となり、チャコンのV2戦は過去3度の世界王座獲得歴があるWBC同級3位ルーベン・オリバレス(メキシコ)が選ばれる。


6月20日、イングルウッド・フォーラムでの再戦は、チャコンが2年前の借りを返すだろうと見られていたが、減量苦で自滅。


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試合2週間前が140ポンドのSライト級、2日前が132ポンドのライト級。当日計量ではしっかりリミット内に落として来たが、リングに上がった時には足はフラフラ、打つパンチはスローモーションという状態で、オリバレスが軽々と2回でチャコンをKO。4度目の世界王座に就いた。


日本での世界挑戦交渉が続けらる中、試合間隔が空いた福山選手は、75年5月、ロペス戦以来8ヶ月ぶりに後楽園ホールに登場。荒っぽい打ち合いで、デルフィン・ロドリゲス(メキシコ)の戦意を喪失させ5回KO勝ち。ひと月後には、続けて和歌山のリングに登場しジュン・ガレコ(比)と対戦。


「ロイヤル小林(国際)を意識して、早く倒そうとあせった」という福山選手は、初回思わぬダウンを喫し大ピンチ。何とかこれをくぐり抜けると、執拗なボディ打ちでガレコを窮地に落としいれ、5回でギブアップに追い込んだ。


オリバレスの初防衛戦は、WBCランク最上位の2位デビッド・コティ(ガーナ)が相手と決まっていた(1位はWBA王者アルゲリョ)。しかし、オリバレスvsコティ戦の勝者に、福山選手が日本で挑戦という契約がなされていた。


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9月20日、イングルウッド・フォーラム。オリバレス有利の声をよそに、初めて米国のリングに上がったコティは初回からオリバレスを倒し、優位に試合を進め15回を終了。普通に見れば挑戦者の勝ちは動かしがたいが、ここはオリバレスの本拠地。フォーラムには8千人のオリバレス・ファンが詰め掛けていた。


試合後20分以上経ってもスコアが発表されない。リングアナはマイクを奪われ、リング上は乱入したファンと警官がもみ合う大混乱。そんな状況下、143-142、144-143、144-145という際どいスコアでコティが新王者に輝く。


しかし、コティ陣営のセコンドは負傷者を出し、新王者は「勝った時の感激は最高だったけど、恐ろしくて一刻も早くリングから逃げだしたかった」。


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ようやく巡ってきた福山選手の出番。コティ陣営との交渉はすぐにまとまり、協栄プロモーションから12月7日、大阪府立体育館でコティvs福山のWBC世界フェザー級タイトルマッチが発表された。ちなみに同じ時期(75年10月)に行われたWBA世界同級タイトル戦、アルゲリョvsR・小林戦も、協栄プロが手がけている。


だが、ここからまた福山選手は待たされる運命にある。まずコティの病気が理由で試合は2月に延期。そうこうするうちに、コティの実質的マネージメント権を持つというガーナ政府が乗り出してきた。「ガーナ初の世界チャンピオン、コティの初防衛戦は何としてもガーナで行ないたい」。


さすがに政府だけあって交渉は強気。さしもの金平正紀・協栄ジム会長も折れて、福山選手の変わりに同門のフリッパー上原(協栄)選手をガーナに送り込むことにし、福山選手の挑戦はその後、日本で行なわれることで話はまとまる。


アマからプロ入り、1973年1月、ロサンゼルスでデビューを果たした上原選手は、同地で負けなしの4連勝。期待のホープとして日本へ凱旋帰国して行った。当時の福山選手は、5連敗(4KO負け)中のどん底状態。どんな想いで、後輩の活躍を見ていたのだろうか。


福山選手の快進撃は、上原選手が帰国した直後から始まっていることに注目したい。


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福山vsロペス。


しかし、「因果よのゥ」であります。f^_^;


福山選手は、「フリッパー選手に勝ってもらいたい、そして、勝ったら僕にもチャンスをほしいです」と、その複雑な胸中を明かしている。


そしてコティvs上原の世界タイトルマッチは、1976年3月、ガーナの首都アクラで7万人の大観衆を集めて行なわれた。     = 続  く  =


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