坂田健史の軌跡!”夢はかなうもの” | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

29日は第69代WBA世界フライ級チャンピオン坂田健史選手の誕生日。サンちゃんも31歳になった。先頃、ファンの方から頼まれた色紙にサインを貰った。「何か好きな言葉を入れてほしいって」。

”夢はかなうもの”。

色紙には坂田選手らしい言葉が記されていた。


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「小手指の現場行ってたのが、ついこの間のような気がします」

「なんか、アッという間だなァ」(~~)

西武池袋線小手指(こてさし)。元世界フェザー級王者西城正三氏にも「手伝ってもらった事があるよ」という電気設備工事のベテラン、元協栄ジム選手の大坪先輩の下、私は地上14階建てマンションの現場仕事に従事していた。

1998年(平成10年)初夏。建築現場はまだ基礎工事。公道下に走る東京電力の幹線目指し、マンション敷地内からの横穴掘り。膝を立て中腰の姿勢での穴掘りは、たちまちにして我々二人の気勢をそいだ。

全くもって暑い日であった。10時の休憩。やっちゃいけないとわかっていても我慢しきれずに、ダイエットコーラとガリガリ君を乾いたのどに流し込む。

「金元、もうダメだよ。誰か若いのいないかよ。1万円出すからさァ。誰か呼んでくれよ。もう動けないよ。歳だなァ」

私も全く持って同感であるが、なにせ平日である。そんなに便利なスーパーマンに心当たりはない。しかし、このままでは負担を被るのは俺だ。出て来いスーパーマン。とにかく電話を回す。オッ、出た。(~~)

「オ~イ早川、暇かァ」(~~)

「ハイ、暇です!」

「そうかァ、ちょっとこれからバイト出来るか。1万円払うからさァ」

「やります!いや~、ちょうど今、最後の金をパチンコでやられてしもうて、また坂田にでも借りにゃいかんと思ってたところでした」

早川広将選手は広島県呉市の出身。協栄ジム寮では坂田選手と同室で、早川先輩は後輩の面倒もよくみていた。いや、みられていた?(~~)

「ちょっと今から小手指まで来てくれよ」(~~)

さすがにパワーが違う。昼からの作業で5時を待たずして穴掘りは終わった。

「こんなにもろうていいんですか」

「いやいや、助かったよ。ありがとう」(~~)

右から二人目が大坪先輩。

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現場工事が進むに連れて仕事量は増える。次に現場にやって来たのは、坂田選手とは同学年の吉川(きかわ)雄一郎選手。全くの素人だが、大坪先輩の指導により仕事を覚えていく。夏も終わろうかという頃、「坂田もバイトあったらやりたいらしいよ」ということで、坂田選手の小手指通いが始まった。

吉川選手とのコンビで室内配線をこなした。「坂田、あのマンション大丈夫かなァ」(~~)。「吉川の言う通リやりましたから」。「そこが心配だなァ」(~~)。「いやいや、世界チャンピオンが工事してたって知ったら、買った人も喜ぶよ」(~~)

坂田選手の奥様は、吉川選手の奥さんとは親友の間柄。奇しくも、このバイトで親しくなった吉川選手が愛のキューピットとなったわけである。そして、吉川選手は網膜はく離で現役引退した今も電気工事に携わり、今では立派な職人として活躍している。ただし、飲みすぎ注意ですね吉川君!(~~)


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西武池袋駅7時5分発急行電車。座席に就いたら速攻で朝寝。所沢あたりで目を覚ますと、目の前に坂田選手がいるのである。まだデビュー前だったが、彼はしっかり走っていたのだろう。その成果はやがて現れてくる。

「大竹さん、後援会が出来ちゃいましたから新人王頼みますよ」

高校のボクシング部を僅か3ヶ月でスポイルし、「裸で歌ってたんだろ」(~~)という坂田選手は素人同然。基礎から叩きこまなければいけない。「わたしゃ、ボクシングやってるもんだとばかり思ってました。その為にあの高校行かせたんですから。だまされとりました」(~~)。知らぬはお父さんばかりであったそうな。

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「俺は1年寝かせて新人王だと考えていたんだよ。だけど、カポネ(先代会長)いきなり後援会出来ちゃったから頼みますだもんなァ」(~~)

初回、いきなりダウンから挽回の試合は一つだけではない。ゴール前の競り合いには絶対負けない勝負根性で、坂田選手は新人王に上り詰める。これといった特徴はない。ただ、インターバルでアドバイスされたことをすぐに実行する素直な心があった。

「平凡なことの繰り返しが、非凡になるんだよ」。大竹マネジャーの言葉通り、坂田選手は地道な基本練習の繰り返しに明け暮れる。








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2000年1月。ハワイキャンプ中に坂田選手は20歳の誕生日を迎えた。「坂田、からくりビデオレーターやってくれ」(~~)。「お母さん、健史は二十歳になりました。元気でやっています。・・・」。坂田選手もノリがいい。(~~)

ただただ走るハワイキャンプ。「秋田(勝弘=元日本タイトル挑戦者)さん。もうこんな競争みたいなことやめましょうよ」

「おれは全然そんなこと気にしてないけど、坂田が来るからさァ」

「よし、スタート!」

これから16キロも走るとは思えない弾丸スタートを決める秋田選手。あきらめない男は、後姿に「またか・・・」の影を残しつつも後を追わずにいられない。

「また競争やってるよ」(~~)




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後日、秋田選手に聞いた。「いや、俺走るのだけは誰にも負けないって思ってましたから」。セレス小林(国際)選手を後一歩まで追い詰めながら、ラストラウンド、「右アッパー天井まで打て!」のアドバイスを、「忘れちゃいました」というのが秋田先輩のいいところ。(~~)

しかし、この不器用なファイターが日本王座に肉薄出来たのは、毎日続けたロードワークのおかげに他ならない。若き日の坂田選手は、ハワイにおいてベテランファイターのキャリアに翻弄され、日射病でダウンという苦い経験をする。

震える坂田選手に、えぞ菊の味噌ラーメン持って帰ったこと。これもまた、昨日のことのようです。  =不定期ながら、このシリーズ続けます=(~~)

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