”笑っていいとも”・JBC退職・西島洋介山 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

最近、ひょんな事から西島洋介山選手の消息を聞いた。ロスでトラックの運転手をしているらしい。アッ、そうか、頑張ってるんだ。良かった。

かつて、TV朝日ニュース・ステーションで、本格的日本人ボクサーとして大きく取り上げられ、フジTV”笑っていいとも”のテレフォンショッキングにも出演した西島選手は、その実力もさることながら、大変な人気を博していた。

テレフォンショッキング。芸能界りした元世界王者渡嘉敷勝男氏が出演する事になった時、「チャンス。これに全てを賭ける」と語っていたのを思い出す。今も続くお昼の人気コーナーですね。

1997年初夏。私は西島選手のスカウト活動を引き受けた。依頼先は、再度の旗揚げを表明した日本IBF。そして、K-1。格闘士になれというのではなく、K-1興行の中でボクシング・マッチに出てくれれば良いという事だった。

条件はどちらも同じ。契約金3千万円。ファイトマネー最低保証1千万円。ロスでの住居、練習場、トレーナーの提供。日本で試合をしたくなければ、ハワイあたりでも良い。マネジャーも、西島選手が決められれる。「お父さんでもいいですよ」(~~)

JBCランセンスを返上し、西島家の情報を集める。西島選手の父君に、面会を申し込む。OKなのだが、いざ具体的段取りとなると、また次の機会にで終わる。これではらちが明かない。ようやくつき止めた父君の勤務先前の公衆電話から、意を決して電話する。

「今、会社の前にいるんですけど、お会いしたいのですが。お昼休みにお時間頂けないでしょうか」

強引に出るしかなかった。ようやく面会がかなう。伝えたい事だけを手短に話す。

「単刀直入に申し上げます。私は、洋介君のスカウトに来ました。条件は、契約金3千万円、・・・。考慮の余地があれば、今後、私が交渉役を務めさせて頂きます」

初対面。どうやら、追い返されずにすんだ。心の内に飛び込めた感じだ。西島氏の勤務先は立川駅近くにあった。当時、私は昭島の現場まで毎日通っていた。そんな身の上も話し、「現場帰りの格好ですが、今度ゆっくりお話しませんか」と持ちかけた。

立川ー武蔵浦和間。武蔵野線を利用していた互いの偶然があった。幸い、ボクシングに関する歴史、情報等が頭の中にインプットされていたので話はドンドン進む。いつしか、お茶がビールに変わり、交渉を重ねる事になっていった。

私は現場仕事を辞した。自分も裸になってこの交渉に当たって砕けようと考えた。生活のメドはない。成功したらどうなるのも、具体的にはなかった。まとまれば、何とかなるだろう。当時、ロスに渡っていた西島選手には、FAXで交渉経過を伝えて頂けていた。

「私が出来るアドバイスはいくらでもしますが、最終的には本人の考えに任せます」

少年野球監督だった父君。西島選手は少年時代を広島で過ごした。野球少年で、ポジションはキャッチャー。当然ながらカーープファンだったと聞いた。オサム会長にスカウトされたのは高校生の時、何でも駅のホームで声を掛けられたという。

父君を交え、西島選手夫妻とも話を重ねた。しかし、西島選手の考えは真実一途。私も利で吊り上げるような事は話さない。その心だけは伝わっていたように思う。

JBCコミッショナーの名前、FAX番号は私が教えた。お世話になったオサムジムが所属するJBCに退職届けを提出し、JBC傘下のジムへ移籍しない事を表明すると共に、自らの退路を立った。残されるは、アメリカのみ。一個人として米国リングで将来を切り開こうとした西島選手。立派だと思う。

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ロスには多くの日本人ボクサーの世話をして来た興南高校OB冬村氏がいる。西島選手も、何かと目をかけてもらったようだ。ロスへ行く度に冬村氏宅へ下宿していた名護明彦(全日本P)選手。偶然出合った異色の二人がロスで将棋勝負。思わず笑ってしまいました。(~~)

後年、白井・具志堅ジムとの折り合いがつかず困っていた名護選手のトレードも、私が沖縄の父君に電話をかけた事から始まりました。西島選手の時の経験が大いに役に立ったのは、言うまでもありません。今、名護選手もロスに渡ったと聞いていますが、また将棋指しているんでしょうかねェ。(~~)。

「バカだなァ。もったいないなァ」

「いや、偉いよ。なかなか出来ないよ」

世間の意見は様々である。これは仕方ない。どれも間違いではないだろう。


交渉は失敗に終わった。私も現場仕事へ戻った。結果が全てである。JBC復帰は難しいだろうと考えていた。日本IBF参加者は永久追放みたいな事、聞いていましたから。しかし、この点も変わりました。2000年にJBC復帰(~~)

その後に、名護選手の移籍問題が私に廻ってきたのも何かの因縁だろう。しかし、大変良い経験をさせてもらったと感謝しています。西島選手、名護選手の活躍を祈ります。

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