昨日の夕方、息子の野球教室に送っていくときに、携帯の速報で見て、腰を抜かしそうになりました。
「斎藤 満塁本塁打 被弾」
準決勝戦の米国相手に、、、、、、とそのあとは怖くて速報も見ずに寝ました。
朝、おきてから、ネットで投球内容や記事を確認。
日刊スポーツの前田裕輔さんの筆による記事を貼り付けさせていただきます。
佑大学初満塁弾に泣く/世界大学選手権
2010年8月6日(金)10:06
<世界大学選手権:米国4-2日本>◇5日◇準決勝◇横浜スタジアム
初の大学世界一を目指した早大・斎藤佑樹投手(4年=早実)が、1球に泣いた。過去4大会で6戦全敗だった米国戦に先発し、1点先取した直後の1回に、大学初の満塁本塁打を被弾した。2回以降は立ち直り、6回4安打4失点と粘ったが、打撃陣が3安打に抑えられ、敗れた。日本は銅メダルをかけて、7日の3位決定戦で韓国と対戦する。また決勝は4連覇を目指す米国とキューバの激突となった。
西日が残る夕暮れの横浜スタジアムに、乾いた打球音が響き渡った。1回1死満塁、斎藤が投じた初球の129キロフォークを、米国の5番スプリンガーに左中間スタンドに運ばれた。マウンド上でじっと立ちつくす斎藤の前を、大男たちが次々とホームにかえった。
1回に先制点を奪いながら、過去4大会で6戦全敗の米国に対して、重過ぎる4点を失った。榎本保監督(55=近大)は「斎藤を立てて必勝を期したが、1球の怖さ、甘さ。それを返せなかった打線。チーム全体が責任を感じている」と言った。
斎藤にとってはリベンジのマウンドだった。08年の世界大学野球選手権(チェコ)は準決勝で完投し、決勝の米国戦は登板できなかった。ベンチから延長12回0-1で敗れる姿を見つめ、甲子園優勝以来の涙を流した。大会前から打倒米国を公言し、大学ラストイヤー最大のテーマに掲げた。それだけに、1回の1球が悔やみ切れなかった。
試合後、斎藤は会見に現れなかった。榎本監督は涙を流しながら、背景を説明。「監督の僕の判断。4年間ジャパンにいて、今日の試合にかけてきた。同じ野球人としてものすごく熱いものを感じた。(出席を)うながす前に、出せる状況ではないと、私が判断しました」とかばった。
ネット裏では、巨人長嶋終身名誉監督が初めて斎藤を生観戦した。決勝はソフトバンク王会長が始球式の打席に立つことも決まった。次代の日本を担うエースとして「ONコンビ」の後押しを受けるはずだった。
2回からは本来の姿を取り戻し、5回1死一、二塁では本塁打を浴びた5番スプリンガーを外角への143キロ直球で空振り三振に切った。6回4失点と粘ったが、打撃陣が3安打と沈黙。試合後のあいさつを終えると、ベンチに座り込む仲間の横を通り、足早にベンチ裏に消えた。【前田祐輔】
2回以降の投球を見ると、立ち直り、踏ん張っていた様子ですね。味方が3安打では、、、、どうしようもありませんね。チームメートや監督さん、コーチ、そして彼の胸の内を思うと、、、、
でも、敗戦毎にたくましく、強くなってきた過去を持つ斎藤くん。この辛い現実にもしっかりと向き合って、7日の3位決定戦に堂々と胸をはって臨んで下さい。そして、メダルを胸に次の秋に向かってほしい。今はとにかくそれを祈っています。
そして、こんな日だからこそ、西浦達雄さんの歌を聴いて、ファンはエールを送りたいと思います。
「はじまりの瞬間」http://www.youtube.com/watch?v=Y2PnCgqrvDQ
負けた試合は「終わりではない」、それは「はじまりの瞬間」だという西浦さんの熱い歌の歌詞を聞いたのは、2009年2月でした。「今、作っている唄の歌詞です」とサビの部分を披露してくださった。
これが終わりじゃない
これが始まりのとき
遠い記憶の中に
近づいている
誰かが君を待っている
その喜びも
そして、この悲しみも
あの苦しささえも
手に入れたんだ
だけど何故だか
涙がこぼれて
大声で叫んでみる・・・
実はその一週間前に、今までの人生の中で遭遇したこともないような一番悲しくて、とても辛いことがあり、その悲しみを乗り越えることがこれからの人生の中で出来るのかと嘆き苦しんでいました。そんな悲しい時だからこそ、人前に出た方が良いから、、、、と誘ってくださったある会で、この歌に出会いました。
西浦さんのこの歌詞を聞いて、喜びだけでなく、悲しさや苦しさも「手に入れた」と表現されている言葉に涙が溢れて止まりませんでした。
そうなんだ、人生の中の喜びも、そして悲しみや苦しささえも「手に入れたもの」なんだ。他の人は決して遭遇していないような辛いことも、悲しいことも、自分のこれからの人生に、もしかしたら必要なことなのかもしれない。
そう思えるようになってから、決して人前では泣かないように、涙を見せないようになりました。
「もう悲しみは癒えましたか?」と先日の早慶戦で出会った人が聞いてくださいました。その時は「少しづつ」と答えましたが、いいえ、なかなか悲しみは癒えません。いや、癒えるものではないのかもしれません。
でも、「悲しみや苦しさ」は私を強くしてくれている。
今だからこそ、そう言えるのです。
一球に泣いた斎藤君。その悲しみや苦しさを「手に入れた」ものとして、次なるステージに向かって駆けあがってください。多くのファンは待っていますから。
そして全国の球児のみなさんも。
敗戦が「終わり」ではない、「はじまりの瞬間(とき)」なのです。