さて、8月になりました。皆さんお元気でしょうか?
長雨や集中豪雨での被害に合われた地域の方、心よりお見舞い申し上げます。
さて、久しぶりの更新になりました。
本日、第91回全国高校野球選手権大会大阪大会の決勝です。他の都道府県の代表は全て決まっておりますから、あと一つの代表の座をかけて大阪の舞洲球場で試合があります。
ベスト8が出揃ったくらいから、もしかして、もしかして、この対戦もありえるのかな、、、と予想していたのですが、ほんとうにどっちを応援したらよいものか、、、
PL学園 対 関大北陽
北陽高校(2008年4月から関西大学北陽高等学校に)は阪神前監督の岡田さんの母校でもあり、私の友人にも野球部OBがおります。今日は試合に駆けつけているはず。
そして言わずもがな私が大昔から応援している今年の選抜に出場した河野監督率いるPL学園。主力といわれていた選手が抜けて臨んだ夏の大会ですが、ほんとうに層が厚いですね。大阪桐蔭戦が一つの山かと思いましたが、10-5で圧勝でした。新チーム発足以来、府内公式戦負けなしのPL学園。さすが王者といえるような試合運びでここまできました。
しかし、北陽も「最後の北陽世代」といわれる三年生の執念ともいえる逆転打で決勝まで登りつめてきました。昨日7月31日にあった大阪大会準決勝、関大北陽大商大堺戦は、代打出場の荘野龍司内野手(3年)、片井真平外野手(3年)の「最後の北陽世代」の三年生による連続長短打で、大商大堺に3-2と逆転勝ちしています。
雨がかなり心配ではありますが、、、、。11時現在、京都は集中豪雨ですどんな試合になるでしょうか。ドキドキして最後一つの席の結果を待ちたいと思います。
みなさんの都道府県の代表は如何でしたでしょう。個人的には西条、天理、知弁和歌山、常総学院など、有力視されていた学校も気になりますが、初出場の学校や公立高校の躍進が嬉しいですね。山口の華陵は21世紀枠で選抜に出場した学校。選抜で慶應を破り、夏には実力で頂点を極めたことも凄いですね。
そして、うちの愚息のボーイズリーグのチームも、明日から全国大会!(http://www.boysleague-jp.org/)
第40回記念選手権大会の小学生の部に出場します。背番号をもらって(誰でも貰える:笑)とっても嬉しそうでしたが、やはり今日の練習は雨のため中止。早朝からお弁当を持って集合場所まで送っていったのに、、、、、私は今日は仕事なので、チームメートのお母さんがバッティングセンターに連れて行ってくれています。
続々全国から大阪にボーイズのチームが集結!私は残念なことに、今年はどうしても用事を東京で入れたものですから、息子の選手権大会を見に行くことができません。6年生たちが頑張ってくれるのを東京で祈るのみです。
さて、朝日新聞のHP「asahi.co.]の特集にこんな記事がありました。
左古将規さんが記事を担当されましたが、
是非、是非、皆さんにも読んでいただきたい記事なので、全文を掲載させていただきます。(HPはhttp://www2.asahi.com/koshien/91/chikai/OSK200907300086.html)
「甲子園の約束、ごめん 「いいよ」あっこも泣いた」 楊志館
2009年07月30日
<大分大会> ありがとう 白い紙に書いてあるのはその5文字だけだ。
大崎耀子さんが書いた「ありがとう」の文字
07年夏の第89回全国高校野球選手権大会。初出場の大分代表・楊志館(大分市)で、佐藤翔司(18)は2年生ながら二塁手レギュラーとして甲子園の土を踏んだ。
今は大分市内の機械製造会社に勤め、会社の軟式野球部に所属する。高校時代の写真を収めたA4判のファイル。佐藤の宝物だ。最後のページに入った「ありがとう」の5文字を書いたのが、マネジャーだった大崎耀子(あきこ)。20人いた同級生で、彼女だけが甲子園に行けなかった。
◇
06年、高1の春。「趣味は体を動かすことです」。新人マネジャーのあっこが自己紹介した。キャッチボールのフォームがきれいだった。
「野球、しよったん?」
「中学んときソフトしよったんよ。うまいやろ」
よく笑う子だなと佐藤は思った。
バッティングが苦手な佐藤は高1の頃、毎日、居残りでティー打撃をこなした。トス役は、あっこに頼んだ。要求した高さにうまく投げ分けてくれたし、「今のは肩が開いちょったよ」と的確なアドバイスもくれた。連日300球前後のティー打撃が、夜10時過ぎまで続いた。
高2の6月の福岡遠征。初日の練習試合で佐藤は無安打に終わった。愚痴をこぼすと、「明日もあるやん。明日打てばいいよ」と励まされた。翌日の試合、2本のヒットを打てた。
遠征から戻ると、あっこは学校を休み始めた。「のどが痛い」と言っていたので風邪かなと思っていた。数日後のミーティングで、あっこは部員の前で切り出した。
「私、がんが見つかったんよ。これから入院する」
上咽頭(じょういんとう)がん。のどの上あたりで見つかった腫瘍(しゅよう)はすでに末期の大きさだった。
夏の大分大会。チームは一つ勝つごとにウイニングボールに寄せ書きして病室のあっこに届けた。甲子園初出場を決めた決勝戦。スタンドから教師の1人が携帯電話で試合の状況を逐一、伝えた。あっこは病院の廊下で携帯を耳に当て、泣きながら一緒に校歌を口ずさんだ。
あこがれの甲子園。佐藤は初打席でスクイズを決め、チームは8強まで駆け上がった。だが、あっこは福岡の病院で放射線と抗がん剤による治療を続けていた。退院したのは高2の秋。年明けには腰に転移が見つかった。また治療を始めれば最後の夏に間に合わなくなる。あっこは「治療はやめる」と両親に告げ、部活に戻った。
体調が悪くて授業に出られない日も、「グラウンドに来ると元気になる」と言って練習に顔を出した。前よりも色白でやせた顔に、感染症防止の白いマスクを着けていた。それでも、明るい笑顔は変わらなかった。佐藤は努めて普通に接した。「ボール取って」「水ちょうだい」。他のマネジャーに頼むのと同じように、あっこに頼んだ。
新チームで主将になった佐藤は部員に繰り返した。
「絶対もう一度、甲子園に行こう。去年行けなかったあっこを連れて行こう」
◇
08年7月5日。高校最後の夏の大分大会。楊志館の初戦は開幕戦となった。あっこは念願だった公式戦初のベンチ入りを果たした。
甲子園経験者7人を擁する楊志館は苦戦を強いられた。7回表で3―8。その裏、先頭打者が安打で出塁した。「絶対打ってくるからな」。佐藤はあっこにそう言い残し打席に向かった。
4球目の直球を力の限り振った。ボテボテのゴロが遊撃手の正面に転がった。次の回に4点を失い、コールドで負けた。佐藤は泣きじゃくり、ベンチに戻った。
「ごめん、あっこ。甲子園に連れて行けなくて」
「いいよいいよ、よく頑張ったよ」
佐藤のユニホームのすそをつかみ、あっこも泣いた。
容体が急変したのは3カ月後。気道を切開し声も出なくなったあっこは、画用紙に震える手で「ありがとう」と書き監督に託した。そのコピーを全部員が受け取った。
08年10月29日、あっこは亡くなった。
◇
今年6月14日、佐藤は2番遊撃手として社会人軟式野球の公式戦に初出場した。初戦に勝ち、大分県大会出場をかけた地区代表決定戦の試合。9回1死一塁で併殺に倒れ、最後の打者になった。
好機に打てない自分が嫌になる。そんな時、佐藤はあっこが教えてくれたことを思い出す。いつも笑顔を絶やさず前向きでいること、明日は打てると信じることを。
=敬称略(左古将規)
尊い命を失ったとき、遺されたものがどのように生きるのか、その命から発せられたメッセージをどう自分の人生に活かすのか、、、、遺されたものたちはもがきながら、そこから「何か」を掴むとき、悲しみは形を変えて自分の人生に、そして自分の体の中に新しい「チカラ」を与えてくれるのでしょうか。