『自殺美術家展』(An Exhibition of the Suisided Artists)1 | 妄想印象派 自作のイラストや漫画、アニメ、音楽など

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死の問題を扱うなど、刺激の強い内容かも知れませんので、

その手の内容が苦手な方は閲覧しないことをお薦めします。

 

「そういえば自殺した美術家の作品を

集めた展覧会というものを見た事が無いな」

と、ふと思いましたけど、それには、

切っ掛けというものが幾つかありました。

 

まず3月8日に、死刑囚の絵画展

『極限芸術 ~死刑囚の表現~』

死刑囚たちが描いた絵画約300点による『極限芸術』展、出展者に林真須美死刑囚ら - CINRA

が4月に開催されるという情報を入手した事に始まり、

3月10日には、

鴨居玲という自殺した画家の存在をたまたま知った上、

同日更に、金沢に於いて行われた

『金沢発信 アウトサイダーアート vol.5』

金沢発信アウトサイダーアート Vol.5 - 石川県政記念 しいのき迎賓館

という展覧会の鑑賞をして非常に感銘を受けるなど、

短時間の内に色々刺激を受ける体験をしたのです。

 

そういった体験から、ふと「自殺したアーティスト、

画家の作品を集めた絵画展は無いかな?」

と思ったのです。

 

で、実際にその展覧会を行うとしたら、キュレーションはやはり、

名キュレーター東谷隆司さんだろうと思ったのですが、

残念ながら彼はお亡くなりになったそうです。

東谷さんとは、清澄白川の『全員展』

一回会話を交わした事があります。

 

彼の死の理由、

動機などについては明らかにされていないのですが、

一部では「自殺ではないか?」と噂になっています。

「芸術公民館での、あの出来事が原因か?」みたいに。

それ以上は訊かないでください。憶測に過ぎないので。

 

で、取り敢えず『自殺美術家作品展』

が既に行われているのかどうか、

検索して調べてみたのですが、見つけられませんでした。

英語で「Exhibition Suisided Artists」などと検索しても駄目でした。

 

そういえば『自殺展』というのが

2010年に開催されていたなあと思い出しました。

行こうと思っていたけど、忙しくて見に行かれなかったです。

自殺をテーマにした美術展というのは画期的だと思いましたが、

続編で、自殺した美術家の作品を集めた展覧会

というのもあれば良かったです。

でも、力のあるキュレーターでないと実現は難しそうですね。

 

「自殺」と言えば、

会田誠の『自殺未遂マシーン』もありました。

これは抜かせませんね。

 

検索すると、石田徹也という画家も出てくるのですが、

Wikipediaには「踏切事故で死去」

「製作途中の絵が見つかっている。」

と出ているので、その文脈から見れば、

自殺ではなく不慮の事故の可能性が高い。

 

検索で見つけた画家の一人、

ヨージェ・ティスニカル(Jože Tisnikar)1928-1998

というスロヴェニアの画家は、

自殺を遂げたというわけでは無いのですが、

家族も友人もおらず孤独に打ちひしがれ、

それが為にアルコール中毒に冒されて、自殺未遂を繰り返し、

精神病院に入院。

病院の剖検室に勤務していた彼は、

8000体以上もの死体解剖に立ち会ったという。

そのティスニカルの描いた絵を見てみると、

やはり鬼気迫るものがあります。

怪物の描き方が独特で、独自の世界を作り上げています。

カラスが、如何にも童話に出てきそうな感じで、可愛いですね。

自らの腕にカラスを乗せている写真が残っています。

ティスニカルは、

絵を描かずにはいられない衝動に囚われていたという。

アウトサイダー・アーティストに近いものを感じました。

オーロラ・アートセラピー日記 死の画家―アルコール中毒幻視体験

http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2007/03/post_6f5e.html

 

痛いニュースでこんな記事も・・・

「世界で最も怖ろしい」絵

自殺した画家の描いた美人画。

所有すると、発狂して死に至るとか。

「世界で最も怖ろしい」絵 - 痛いニュース(ノ∀`)

 

自殺したとされるゴッホには、

実は“他殺”ではないか?という説が出ています。

ゴッホは「自殺ではなく他殺」、ピュリツァー賞作家(AFP BB News)

ゴッホは「自殺ではなく他殺」、ピュリツァー賞作家 - AFPBB News

どこまで本当なのでしょうか?

 

 

 

◎自殺した美術家一覧(日本編)

 

渡辺崋山(1793-1941)

田原藩の武士で画家。蘭学にも精通する。

蛮社の獄(蘭学者江川英龍と蘭学を嫌う保守派鳥居耀蔵との確執により、

江川が冤罪で陥れられた事件)により、

江川の仲間であった崋山が家宅捜索を受け、

その時に、幕府の対外政策を批判して書いた『慎機論』が発見され、

断罪をうけてしまった。

蟄居生活の貧窮ぶりを見かねた福田半香の計らいにより書画会を開いて

絵を売っていたが、その事が幕府で問題視されたとの風聞が立ち、

藩に迷惑が及ぶ事を恐れた崋山は自害する。

渡辺崋山 - Wikipedia

 

 

 

川上冬崖(1828-1881)

南画家、洋風画家

円山四条派の絵師大西椿年に写生画を学ぶ。

オランダ書の翻訳を通じ遠近法、製図、測量術などを研究し、

石版画などの模写を行う。

高橋由一と共に、博物図譜制作にあたる。

将軍徳川家茂に従って上京、技術者として製図・写真撮影に従事。

明治維新後、自らの屋敷内に画塾「聴香読画館」を開く。

1881年、熱海で自殺。

部下の起こした清公使館への地図密売事件の責任を取ったとされるが、

詳細は不明。

川上冬崖 - Wikipedia

 

 

 

名取春仙(1886-1960)

版画家、挿絵画家、浮世絵師

小学校時代には、同窓の川端龍子、

岡本一平とともに画才を認められていた。

1902年、16歳の時、

真美会に出品した水墨画「牧牛の図」が褒章を受けたのを始めとし、

数多くの賞を受けた。

双葉亭四迷や夏目漱石、島崎藤村、

田山花袋らの小説の挿絵を手掛ける。

1960年、妻の繁子とともに青山の高徳寺で服毒自殺。

名取春仙 - Wikipedia

 

 

 

片多徳郎(1889-1934)

洋画家

第10回出品の『婦女沐浴』と第11回出品の『伎女舞踏図』は、

当時では珍しい伝統的な題材と復古的な重厚な色彩とが異色で、

以後、帝展における日本化された洋画の代表者と目された。

明治神宮絵画館壁画『憲法発布観兵式行幸啓図』を描いた。

大酒のために心身を害して昭和9年(1934年)4月に失踪し、

名古屋市中門前町本願寺別院境内で縊死体で発見された。

片多徳郎 - Wikipedia

 

 

 

石河彦男(1917-1986)

洋画家

東京美術学校(現:東京藝術大学)を卒業。

1946年、豊橋市展大映賞。

1948年、光風会展初入選、第4回日展初入選。

1954年、第10回記念日展特選、翌年無鑑査。

1986年、名古屋芸術大学のアトリエで自殺。

豊川市 石河 彦男

石河彦男 『シエナ風景』 [古美術こもれび]

 

 

 

山本弘(1930-1981)

洋画家

ヒロポン中毒に苦しみ、自殺未遂を繰り返す。

アルコール中毒に苦しみ、

二度目のアル中治療の為の入院からの退院後、自殺。

死後、針生一郎、瀬木慎一、

ワシオトシヒコら美術評論家から絶賛される。

孤高の画家 山本弘絵画展Ⅱ

山本弘 - Wikipedia

 

 

 

鈴木実(1930-2002)

彫刻家

1956年、「首」で院展初入選。

1978年、「存在する私」で平櫛田中賞。

1985年、「家族の肖像2」で中原悌二郎賞を受賞。

国画会会員。

2002年、自宅アトリエで首を吊る。

http://www.47news.jp/CN/200207/CN2002071601000125.html

山形美術館 開館50年 魅力きらり収蔵品 42/米沢興譲館同窓会

 

 

 

麻田浩(1931-1997)

日本画家、麻田弁自の次男。

パリに住み洋画・銅版画で受賞を重ね、帰国後は新制作展等で活躍した。

非現実的風景を緻密な描写、暗緑色系の色調で描いた。(コトバンク参照)

龍安寺斎宮町のアトリエにて自殺。

麻田浩公式ホームページ – Just another WordPress site

 

 

 

近藤豊(1932-1983)

陶芸家、近藤悠三の長男。

京都芸術大学の教授。

1983年、京都市山科の自宅で縊死。

父悠三とは全く違った新しい抽象表現に挑んだ

和光ホール - 銀座・和光

近藤豊 - Wikipedia

近藤豊・濶・高弘 作品 - Kondo Museum - 近藤悠三記念館

 

 

 

鴨居玲(1928-1985)

社会や人間の闇を描いた画家。

心臓の病と創作の行き詰まりなどを理由に、

度々自殺未遂を繰り返した末に、

自宅で排ガス自殺を遂げる。

鴨居玲 - Wikipedia

呻吟の画家 鴨居玲 : 夏目書房ブログ

 

 

 

清水誠一(1946-2010)

最後の3点の作品では、

静物が投げ出された形で描かれており、

成程と思わせるものがある。

が、実はそれ以前にも、

死の臭いの漂う作品を描いていた。

自殺した美術家の作品に見る崩壊 (1)・・・清水誠一と鴨居玲 - 彦坂尚嘉 Naoyoshi HIKOSAKAの《第163万8400次元》

 

 

 

正木隆(1971-2004)

アトリエで自死。

真っ暗闇のなかに白く物体が浮かび上がる絵画は、

シンプルながらも見る者に強い印象を与える。

作品からは何となく「死」の匂いを感じましたが、

同じ感想を述べた人は他にもいました。

正木 隆 - GalleryJin

【触れる】正木隆 初期作品展 - タグボート

 

 

 

大半が、全く知らなかった画家ばかりなのですけど、

こういう風変わりな切っ掛けでその存在を知ったというのは、

何とも皮肉かも知れません。

 

『自殺画家作品展』の実現について、

改めて考察してみたのですが、

恐らく不可能に近いと思います。

 

というのも、遺族の人に、

「自殺した画家というコンセプトによる展覧会を行いたいので、

作品をお借りしたい」と述べたら、恐らくその遺族にとっては

余り気持ちの良いものではないと思うからです。

 

企画する側も、その様に察すると思います。

100年以上も昔の画家ならともかく、

つい最近(20世紀後半以降)に自殺した画家の場合は、

遺族が存命していたりするので、

不謹慎だとしてお伺いは立てられないでしょう。

特に、相手の気持ちを慮る日本の風潮では尚更です。

 

なので、取り敢えずは、ブログにてこういう提案をしました、

という事だけは述べておきます。

 

いつになるかは未だ決めていませんが、

次回は海外の自殺した画家の紹介をしたいと思います。

マーク・ロスコ(Mark Rothko)、

ギュンター・フルートルンク(Günter Fruhtrunk)、

マックス・クルツヴァイル(Max Kurzweil)などなど・・・。

 

 

 

【追記:2021/6/23】

画像、画像引用元リンク追加

 

久々にこの記事を見ましたが、

そういえば深井克美が入っていない事に気付きました。

 

 

 

深井克美(1948-1978)

北海道函館市出身の洋画家。

父が結核により死去。

母は妹を養子に出し、12月に克美をつれ上京する。

1959年、徳田カトリック教会にて受洗(カトリック名:ペテロ)。

中学時代、美術とクラシック音楽への関心を持ち始め。

杉並工高在学中に画家の道を意識し始める。

西八郎の作品に感銘を受け、師事する。

西の勤めに従い、

武蔵野美術学園絵画教室夜間部に入学するが、自然退学。

1972年10月、第36回自由美術展に《作品1》が初入選し、

佳作作家に選ばれる。

1973年の第37回展には《バラード》《黄昏》の入選によって、

異例の早さで会員に推挙される。

以後、毎年、自由美術展に出品し続ける。

1977年10月、自由美術協会展に『オリオン》《冬》を発表、

1978年3月、初めての個展(銀座、シロタ画廊)を開催。

1978年12月16日午後1時頃、

通りかかった練馬区のマンションの八階から投身自殺を図り、

同日1時13分、近くの病院で死亡した。享年30歳。

自殺の直接の原因は不明。

ギーガーやダリ、ベクシンスキ、フランシス・ベーコン、

ホラー映画の怪物などを彷彿とさせる

幻想的シュルレアリスム風であるが、

それでいて痛々しさや悲しさが滲み出てくる様な

何ともいえない切なさを感じる作風。

深井克美 - Wikipedia

「深井 克美」のアイデア 11 件 | 深井, 絵画, 画家 - Pinterest

 

 

 

加清純子(1933-1952)

北海道札幌市出身の画家。

十代半ばにして北海道の道展を始めとする多くの展覧会に入選し、

「天才少女画家」と呼ばれたが、満18歳で早世した。

死因は自殺とされるが、その理由は不明である。

後には渡辺淳一の代表作の1つである

自伝的小説『阿寒に果つ』のモデルとして、

また渡辺自身の初恋の相手として話題となった。

加清純子 - Wikipedia

よみがえれ!とこしえの加清純子 | インターネットミュージアム

 

【追記:2022/9/17】

記事題名修正