初めてブログを書きます。
まずは、8年前に制作した「LV足袋」の紹介といきます。
何故そんなに古い作品の紹介をするのかというと、「非公認」であるため、メディアでは紹介出来なかったからです。
そのため、この作品をずっと後になって知った人は、つい最近作ったばかりなのだと誤解する等、色々とダメな状況に陥ってしまいました。
この作品の作られたいきさつ等を紹介したくても、上述の通り、メディアで取り上げられないので、ネットで作者自身が語るしかないわけです。
メディアから無視され気味な私ではありますが、意外と私の事が話題になっているという話を時々耳にするので、そんな方々が誤解しないためにも、また誤解しているのであれば誤解を解くためにも、この記事を書かねばならないわけです。
ルイヴィトン足袋を思いついたきっかけ
1996年頃、建築のバイトをしている時、一緒に働いていた若者が自分が履いている白い足袋に冗談で「NIKE」のロゴを書き入れているのを見た瞬間に思いついた。
後にその若者は、仕事中に高所から転落し、今はもうこの世にいないと人から聞いた。
ルイヴィトン足袋制作のいきさつ
制作を開始したのは1999年なのだが、何故思いついてから3年も経ってからなのかというと、1999年に母がヴィトンのバッグや財布などを持っているのを知ったからである。
要するに、見本が手許に無かったから作れなかったのである。
値段が高いからといってケチケチせずに見本用に自分で買っておけばもっと早く制作したかも知れないのにと後悔。
早速母からヴィトンの財布を借りて制作を開始した。
制作開始同年5月。完成同年11月。
ルイヴィトン足袋の発表とその反響
元々この作品は、お蔵入りにするつもりだった。
というのも、「著作権」の問題を恐れていたからである。
この作品の制作に余り積極的でなかった理由はそこにある。
しかしミヅマさん(ミヅマアートギャラリー)は「大丈夫だ」という。
アメリカでの著作権裁判で「あくまで自分の作品だと主張していれば問題は無い」という判例が出ているからいいのだという。
じゃあ何故メディア発表が出来ないのかというと、メディアはスポンサーに弱いため、企業に余り睨まれたくない(波風立てたくない)からなのだろう。よく分からないが。
その辺誰か教えて下さい。
2000年1月にミヅマアートギャラリーから電話で呼ばれ、ヴィトン足袋を持って行った。
丁度「男の酒~ミレニアム~」という展覧会が開かれていて、沢山人が来ていた。
ヴィトン足袋は、青山にあった頃のミヅマアートギャラリーの入り口横のカウンターの後の棚の上に、同画廊が中目黒に引っ越す直前まで置かれていたらしい。
話によれば、ギャラリーを訪れたお客の反応が結構あり、特に外人の反応が凄かったという。
因みに、ルイヴィトン足袋はシリーズものとなっており、その他のヴィトン作品については後々に語ることにします。
取り敢えず、mixiでは既に「LV足袋」の画像を公開しているのですが、何も問題は起きていませんので、ここでも公開いたします。