It's a sprawl world vol.2
2014年1月25日(土)/ 北初富Handwired Garage
出演者紹介

双葉双一

 双葉双一さんは、東京だけでなく京都や大阪などでもワンマンをされており、なかなか千葉県で聴ける機会はない方です。記憶違いでなければ、5年程前の柏WUU「陰気な二人旅」での、知久寿焼・双葉双一ツーマン以来の、千葉県会場のはずです。
 双葉双一さんの作品世界については、あまりに採り上げられている領域が広いので、なかなか手短に記すのが難しいところがあります。一般的に「詩人」「文藝系」と冠せられることが多く、様々なテーマのフィクションを自らの美意識に沿って、研ぎ澄まされた言葉で歌にするのに長けた表現者と言えます。
 ただ、今「フィクション」という語を用いましたが、最近の楽曲は現実世界の深淵を見つめるテーマの作品も少なくないように感じられます。けれども、どの作品も「背筋の伸びる音楽」という点で共通で、格調と品位の高さが感じられます。同じようなアコースティックギターの弾き語り演奏者と大きく異なる要素がそこにあります。それは、半端でないインプットされた知識や教養からにじみ出ていると思われます。
 選び抜かれた言葉とその伝達を一義とする歌唱、ハーモニカや返しのストロークの音色の美しさ、そのたたずまいと演奏姿勢、それらの融合が双葉双一世界と言えます。演奏効果が高い派手な部分よりも、一見気付きにくいデリケートな部分に対してこそ、とても丁寧に表現しているように思われてなりません。その演奏を前にするとき、観客の側も今後、恥ずかしくない自らの人生を志向しようとするだけの気高さを持たせる力が感じられるはずです。
 双葉双一さんは、この日はトリでの出演です。オファーを受けてくださったのは素晴らしい方々ばかりですが、この季節に相応しい余韻で岐路に着けるのではないかと存じます。音質も雰囲気も双葉双一世界を損なわない素晴らしい会場なので、楽しんでいただけたら幸いです。

山田庵巳
 山田庵巳さんは、前回の紹介文でもいろいろと記したのですが、「8弦ギターの弾き語り」というラベルだけで表すことは決してできない表現者です。あまりにも独自に切り開いた部分が多いのですが、歌唱やギターなど何か一つだけを切り離して採り上げてみても、類を見ないクオリティの高さに驚かれるはずです。
 山田庵巳さんだけのクオリティがあれば、本来歌唱だけでも、ギター演奏だけでも、楽曲の創作だけでも、単独で表現者として通用するはずなのですが、あくまでも「総合・統合」にこだわるのには理由があると思われます。これは仮説ですが、フィクションの生まれるさらに背後の世界を表現するためではないかということです。
 山田庵巳さんは、自らの日常や気持ちをそのまま歌にするスタイルではもちろんありません。でも、それだけではなく、単なる物語のプロットを歌にして、体裁を整えるだけのことを行うストーリーテラーでもありません。物語系でも小品系でもその作品は全体で繋がりあい、「山田庵巳」世界構築の材料となっているかのようです。一つのステージ全体で、融合された表現を行っていると感じられると思います。
 それは、ガウディのサグラダ・ファミリアのような、途方もない壮大な作業のようにも見えます。ただ、特筆すべきところは、ステージの上で演奏している本人が、その教会の排他的な教祖でなく、神父や牧師のように聴衆と一緒になって「山田庵巳」世界を、育てていこうとしているように感じられるところです。
 山田庵巳さんのステージは楽曲も演奏も格調高く素晴らしいのですが、通いつめる観客の多くは切り離された作品ではなく「その奥に広がる広大な世界」を感じ取っているのだと思います。初めて聴かれる方々には伝わりにくい紹介文かもしれませんが、ぜひ一度生で聴いていただきたいと思います。私自身も含め、以降の人生に深い影響を及ぼす方も決して少なくないと思います。

みぇれみぇれ
 みぇれみぇれさんのステージは、音の小さなおもちゃをお店のように並べて、ギターやトイピアノを弾きながら歌うスタイルで、音的にはたま(特に滝本晃司曲)を一人で演奏している印象を強く持つかもしれません。実は同じスタイルの演奏家も少なくはないのですが、その誰とも近くない特徴もあります。
 一般的に、トイピアノなど耳当たりの重くない楽器類多用の演奏家は一つの個性だけで勝負しようとする「一点突破」型の音楽になりがちで、それがある種のアングラ感を生み戦略的には正しいのですが、長く続けていると飽きが来やすい弱点があります。しかし、みぇれみぇれさんの音楽は、すっと入るのに飽きが来ないという、珍しい印象を受けるはずです。
 それはインプットしてきた音楽の多様性と、丁寧に音を組み立てていこうとする職人意識が要因であると思われます。正しいピッチの歌唱と安定したギターでアウトプットされる独自色の強い音楽は、例えば渋谷系しか聴かないようなリスナー層にさえ面白く感じられるはずで、多くのライブの共演者から高い評価を得ているのも頷けところです。
 「みぇれみぇれ音楽とは何か」という命題に一言で回答するなら、「職人により丁寧に作られた手工品のおもちゃ」という比喩が適切かもしれません。誰の手にも取りやすく、長く手にしても愛着だけが湧いてくる作品の裏付として、決して流して大量生産を行わない美学が背後にあると察せられてなりません。
 この日の演奏は、コントラバスとのセッションです。会場の落ち着いた雰囲気によく合う演奏になるであろうと思います。丁寧に作られた音楽をのんびりと鑑賞することの喜びを、おそらく感じられることと思います。

kyooo
 kyoooさんは、ガットギターの弾き語りの方ですが、今回の企画でどうしてもお呼びしたかった方です。kyoooさんの存在がなければ、私自身が企画やO.A.をやることはなかったと思うからです。また、双葉双一さんにも山田庵巳さん両方に共演者として納得いただける方を考えたとき、最初に思い当たったのもkyoooさんでした。
 kyoooさんには、今回の他の出演者同様に半端でないインプットの集積があり、楽器も歌唱も多様な手段をこなす器用さを本来的には持っています。実際、現在動画で多く上がっている演奏とは異なる方向のステージを拝見したこともありますが、今のスタイルは行間の空気を大切にしているように思えます。
 現実社会と乖離した世界を描き透明感を出す表現者であれば、多分少なからず存在すると思われます。しかし、kyoooさんの面白いところは、扱っている主題や風景が日常の範疇にあるはずなのに、対象への意識の描き方や視点の置き所の絶妙さにより、非常に澄んだ透明感のある印象を持つ世界を構築しているところです。
 kyoooさんの場合、言葉の選択といった表面的技術でなく、音楽の中に籠めるべき文脈や行間への意識自体が、多くの方と異なっていると思われます。「嬉しい」「悲しい」など直接的心情表現は決して用いず、その気持ちや感覚がやってくる、その一つ前の情景を丁寧に表現しているように感じられます。これは実はとても勇気が要る作業で、分かりやすい言葉による輪郭線ではその場に置かれている空気を描くことができないと理解しているのだと思います。
 kyoooさんの志向する音楽は多くの方にとっても心地よいものですが、音楽も言葉も雑多なものを多く摂り込んでいる分、ステージ後に残る余韻も深く感じられると思います。kyoooさんはO.A.直後の出演順の予定ですが、澄んだ透明感ある世界で深呼吸していただければと存じます。

sprawl world
O.A、本企画主催、及び本紹介文文責。