北 杜夫氏が死去 | 整体師の独白

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年金支給年齢が引き上げられると、もっとも甚大なダメージを被る、今年50になる私の年代にとって、北 杜夫氏は、昭和一桁世代では大変珍しい、屈折した青春の偉大な理解者だった気がします。

『どくとるマンボウ航海記』では読者自身が600トンのマグロ漁船に獣医として乗り込んだかのうような素晴らしい錯覚を味わわせてくれましたし、要所に溢れる氏の雑学豊かなユーモアに、皆癒されていたのだと思います。


朝日新聞日曜版に連載され、その後朝日新聞社の意向で、賛否両論ある大幅な加筆の上、出版された『月と六セント』では、戦争で日本を負かした大国が、月に有人ロケットを打ち上げるその場に、躁状態の氏が全存在をかけて立ち合っています。政治的には保守派であることを明言しながら、堅物ではなかった氏のスタンスに共感された方も多かったでしょう。


40歳頃から発症した躁鬱病で、2度にわたる破産を体験しても、旺盛な執筆活動で家を建て直し、たとえ極度の鬱状態でも、そのことがどんな風に執筆活動に影響をあたえるか?などを、まるでもう1人平常心の氏がいるかのように描写し、大向こうをうならせました。


最後に三島 由紀夫氏が『楡家の人びと』について書いた一文を掲載し、北 杜夫氏のご冥福を信じ、同時にそれを魂の底からお祈りいたします。


 

 戦後に書かれたもつとも重要な小説の一つである。この小説の出現によって、日本文学は、眞に市民的な作品をはじめて持ち、小説といふものの正統性を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといへる。

 これほど巨大で、しかも不健全な観念性をみごとに脱却した小説を、今までわれわれは夢想することもできなかつた。

 あらゆる行が具体的なイメージによつて堅固に裏打ちされ、ユーモアに富み、追憶の中からすさまじい現実が徐々に立ち上がるこの小説は、終始楡一族をめぐつて展開しながら、一脳病院の年代記が、つひには日本全体の時代と運命を象徴するものとなる。しかも叙述にはゆるみがなく、二千枚に垂んとする長編が、尽きざる興味を以て読みとほすことができる。

 初代院長基一郎は何といふ魅力のある俗物であらう。諸人物の幼年時代や、避暑地の情景には、何といふみづみづしいユーモアと詩があふれていることだらう。戦時中の描写にさしはさまれる自然の崇高な美しさは何と感動的であらう。

 これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!


北杜夫著「楡家の人びと」函・新潮社・昭和三十九年四月(文中の旧字体を一部新字体に変換して表記す)