2 正しい動機。
知恵の大師とは、「探究者たちからなる一世代に一輪咲くか咲かないかの稀な花」であると言われている。
探究者がいま自問し、彼にだけ答える権利がある質問は次のようなものである。
私の熱誠と私の努力を支配している動機は何か。
なぜ私は正しい基礎の上に築こう努めているのか。
なぜ私はこれほど苦労して魂を呼び込もうとしているのか。
正しい動機の発達は漸進的な努力を要するものである。
人が自分自身を発見するとき、動機の焦点は絶えず移行する。
光が道をしっかりと照らすにつれて、新しいより高い動機が絶えず現われてくるからである。
再び、例を挙げて説明することにしよう。
熱誠家は実際、初期段階においては常に献身者である。
最愛の友や教師が定めた基準に達しようと、彼は苦闘し、努力し、前進する。
後に彼の献身と熱烈な努力の対象は、人類の兄たちである偉大な方々の一人への献身へと変化する。
彼はすべてのパワーと自らの性質のフォースを彼らへの奉仕に傾ける。
この動機は次第に人類への生き生きとした愛に変わり、一人の個人に対する愛は(たとえその人がいかに完全であろうと)人類同胞全体に対する愛の中で忘れ去られる。
止むことなく、魂がその道具をますます支配するようになり、魂の性質が着実に顕現するにつれて、人類愛もまた理想への、大計画への、宇宙そのものの背後にある目的への愛に取って代わられる。
自分自身が霊的な力が働くための経路以外の何ものでもないことを知るようになり、自分自身が唯一なる生命に統合されている部分であることを理解する。
そのとき彼は、人類でさえ相対的で部分的なものと見なすようになり、偉大なる意志の中に溶け込むようになる。
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昨日ご紹介した、平均的な熱誠家の観点から「チャクラを開花させるための必要条件」を重要な順に示した1番最初の「性格構築」に続き、今日は2番目に重要と位置付けられている「動機」ですが、
今日の文章も、とても明快で、特に解説が必要なところもないと思います。
理論として明解であるということと、スイスイと実践が進むということは全然異なり、ここで書かれている動機のレベルを一段上げるためには、その都度自分がそれまで大切にしていたものに対する執着を捨てることが必要であることに気づき、苦しみながら自主的に、それができない時には本当の苦しみを与えられることを通して半ば強制的に、手放していくことになります。
この手放しの苦痛を軽減するのに役立つのが、昨日やった
1 性格構築
であるとも言えますね。
さて、この後、「チャクラを開花させるための必要条件」の、
3 奉仕
4 瞑想
5 諸センターについての研究
6 呼吸法
まで、個別の簡単な解説が与えられていますが、
この規定5からの紹介も今日で20回になるため、
この辺で切り上げさせていただこうと思います。
ただこの中で、4の瞑想に関して、最近はブームであり、すでに実践あるいはこれから挑戦されようとしている方も多いと思いますので、慎重にしなければいけない注意事項をご紹介させていただきます。
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良い性格と清い生活という基礎がなければ、暝想を始めることは危険であり、有益ではない。
この場合、雑草が生い茂る庭に肥料を施すことで、途方もなく雑草が繁茂し、弱い小さな花々を枯らしてしまうのと同じように、暝想は彼の生命の望ましくない様相を刺激するエネルギーを引き込む手段になるだけである。
暝想は、個人の成長や霊的な能力を求めるといった間違った動機がある場合には危険である。
というのは、このような条件下では瞑想はイリュージョンの谷間の影を強めるだけであり、利己的な欲求の谷間にひそむ高慢という蛇を大きく成長させるからである。
奉仕したいという願望がないとき、暝想は危険である。
奉仕とは魂のフォースをグループのために使うことを意味する別の言葉である。
この衝動が欠けているとき、エネルギーは諸体に流れ込むかもしれないが──利用されず、出口が見つからないため──センターを過度に刺激することになり、初心者にとって災いになる状態を生み出す。