「無執着」 ~ 『トランス・ヒマラヤ密教入門』より   | 神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

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昨年末から、今年4月開講予定の『ホワイト・マジック』年間講座に関する話題を結構書いております。

(12月31日の、戸田美紀さんによる感想文、

 1月1日の記事の下方の、「講座日程」

 1月5日の、「『ホワイト・マジック』とは?」

 1月8・11・12日の講座案内などをご覧ください。)

 

ただ、これまでも『ホワイト・マジック』に載っている文章は、かなり紹介してきました。どこにかというと、この『トランス・ヒマラヤ密教入門』の紹介シリーズの中に、『ホワイト・マジック』からの引用文が、いちいち紹介しておりませんでしたが、かなり含まれていたからです。

 

おそらく、アリス・ベイリー全作品の中で、(『トランス・ヒマラヤ密教入門』およびその紹介ブログ記事、両方とも)『ホワイト・マジック』からの引用が一番多かったのではないかと思います。

 

今回続けて書いている中でも、一番最初の2つ「動機」「喜び」、一つあけて「ユーモアのセンス」、そして今日の文章も、『ホワイト・マジック』からのものです。

 

それだけ、『ホワイト・マジック』という作品には、分かりやすくポイントを押さえた文章が多い、ということだと思いますし、また『トランス・ヒマラヤ密教入門』講座やこのブログを読まれた方が『ホワイト・マジック』を読まれると、馴染みやすい文章がちょこちょこ出てきて、それによって親しみやすく気楽に読める、と感じられるのではないか、と思います。

 

アリス・ベイリーの著作は、ほとんど図もなく、(ある程度理解できるようになるまでは)平板な文字が延々と並んでいて、普通の感覚ではすぐに眠くなるし、真剣に読んで理解しようとすると凄いプレッシャーの連続で、何かヒントを与えてくれないかと、助けを求めたくなると思います。

 

『秘教治療』の年間講座では、講座自体がそういう助けになるよう、心がけていますが、『ホワイト・マジック』はそれよりかなり優しいので、遠方で講座にご参加いただけない方でも、このブログを頼りに『トランス・ヒマラヤ密教入門』をまず読んでいただければ、かなり自力で解読できるのではないか、と思います。

 

もちろん、春からの年間講座にご参加いただけるに越したことはないと思いますが、参加される場合も、『秘教治療』の場合は予習しなくて大丈夫ですよ、と参加者に言ってきましたし、最初から自分で読んでもおそらくほとんど理解できないと思うのですが、『ホワイト・マジック』は、以上のような手順を踏んでいただければ、かなり自分で予習ができ、もちろんその方が、講座での吸収力が数倍高まります。

 

長くなりましたが、今日の文章は、その『ホワイト・マジック』からの引用文であることが、いきなり分かる文章から始まります。

ただし、今日のはちょっと難しい、というか、ここだけ切り出して読むと分かりにくいところです。

前後の文脈を通して読むと、もっと分かりやすいですが。

 

人は、自分が苦労して生み出した考えや理論に対しては愛着が生まれます。これは人間として当然のことですが、そういうものに対しても執着せず、手放すことができないといけないよ、というお話です。

 

 

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白魔術を行う者は、自分が創造したものや創造しようとするものと自分自身を、できる限り同一化しないようにしなければならない。

 

 すべての熱誠家にとっての秘訣は、傍観者の、沈黙の観察者の態度を培うことである。

 この「沈黙」という言葉を強調したい。

 

 物質に働きかけて形成しようとする者が沈黙を守るのを怠るために、多くの真に魔術的な働きから何も生まれないでいる。

 

 時期尚早の発言とあまりに多くを語ることによって、創造しようと試みているものを殺害し、自らの想念の子供を死産させてしまっているのである。

 

 世界の場で働くすべての人々は沈黙した無執着の必要性を認識しなければならない。

 そして、これらの教えを読むすべての人々にとっての課題は無執着な態度を培うことである。

 

 それはメンタル的な無執着であり、それが、思考者が常に高き秘密の場所に住み、自らの前に据えた仕事をその平安の中心から穏やかに力強く成し遂げることを可能にする。

 

 彼は人々の世界で働く。

 彼は愛し、慰め、奉仕する。

 しかし、個人的な好き嫌い、偏見や愛着は気にかけない。

 

 彼は強い岩のようであり、彼に接するすべての人々にとっては、暗闇での頼りになる手のようなものである。

 個人的な無執着の態度の育成は、霊的な愛着と共に、人生のまさにその根元を切断する。

 

 しかし、切断したすべてのものは千倍になって返ってくるであろう。

 

 執着について、そして無執着を発達させる必要性について、多くのことが書かれてきた。

 緊迫した情勢にある現在において、それを熱心に読んだり考えたりするのをやめて、それを実践し実証するよう、私はすべての人々に嘆願する。