「熱誠家」(1) ~ 『トランス・ヒマラヤ密教入門』より | 神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

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今日から、今月のエソテリック・ヒーリング基礎講座・後半に行う、第三巻・第二章「弟子の道」からの紹介に入ります。
この章には、「熱誠家」「見習いの道」「弟子」「弟子:その受け入れ」「弟子の年齢」「承認」という項目があります。

『秘教治療』を読んでいてもよく出てくる「熱誠家」や「弟子」の意味を確認できれば、と思います。
まずは「熱誠家」から。


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 熱心な人間が全く認められないことはない。
 仕事の重圧と日々の労働の重荷と苦労の中にあって、見守る方々がいること、そして、すべての愛ある行為、すべての熱誠に燃えた思考、すべての非利己的な反応が注目され知られていることを知ることは勇気づけられる。

 しかしながら、援助する方々に認められるのは、熱誠家の波動の増加によってであり、達成した行為や送り出された想念を具体的に感知するからではない。

 教える方々は、真理の原理、波動率、見られる光の特質に注意を引きつけられるのである。
 彼らは特定の行為、言葉、状態については知らないし、それについて考える時間もない。

 学ぶ人々がこのことを早く理解し、彼らが大師と呼ぶ存在――彼らは、大師には時空内の彼らの些細な問題を解決する能力があり、暇を持て余していると考えている――接触したいという期待をマインドから追放すればするほど、彼らは急速に進歩するであろう。

 しかしながら、着実に成長すれば、秘教的な原理が適用され、その結果、明確な変化が諸体に起こり、光がますます輝くのが分かるはずである。
 そして、熱誠家に与えられる報酬は、同胞に奉仕する機会の増大である。


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自分が霊的な存在であることに気づき、自分の中にある執着を払い除け、進化の方向に向かって歩むとき、正しい導きと共に、努力に対する評価を求めたくなるのは、(その段階では未だパーソナリティー意識が色濃く残っている人にとっては当然起きてくる)人情というものでしょう。

しかし、進歩を促進するためには、逆に、評価を求める気持ちを捨てることが必要です。
そして、成果を上げることよりも、それを行う動機と意識をいつも霊的な方向に保っておくことが大切であり、これはとても難しいことなので、常に思い出してはズレが生じていないか、チェックする必要がありますね。

最後の一文は、いつもの有り難いお言葉、
「奉仕の報酬は、さらに大きな責任を伴う奉仕」です。