昨日に続き、「神秘家と秘教徒」から。
昨日の文章を踏まえて読んでいただくと、かなり疑問が解けると思います。
大雑把な言い方をすると、神秘家は内向的で、秘教徒は外向的です。
秘教においては、界層でも光線でも、偶数が内向的、奇数が外向的という特徴があります。
したがって、2・4・6・8・…は神秘家、
1・3・5・7・…は秘教徒のラインです。
整数の数字が、奇数・偶数交互に来るように、
同じ一つの魂が、転生を繰り返して目標を達成するごとに、
神秘家と秘教徒のラインを交互に繰り返すことになります。
それは、愛の道・聖者の道と、知識の道・賢者の道とも、言い換えられます。
同じ魂が、両者を経験するわけですから、自分と逆のタイプを見て、批判することはナンセンスですね。
両者は相補い、バランスをとり、そして統合されていかなければなりません。
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神秘家は必ずしも秘教徒ではないが、秘教徒は神秘家でもある。
神秘主義は秘教の道の一つの段階でしかない。
自分自身の内にある神の王国を見出すことによって、そして自分自身の存在の法則を研究することによって、神秘家は自らがその一部である宇宙を支配する法則に精通するようになる。
秘教徒は自然つまり太陽系での神の王国を認識し、自分自身をその偉大な全体の一部と見なす。
したがって、同様の法則に支配されているのである。
・・・全般的に理解できるようにもっと簡潔に述べよう。
つまり、イニシエーションの後に神秘家は秘教徒になる。
なぜなら、彼は秘教の法則を学ぶ者になったからである。
彼は物質に、そしてその操作と活用に携わらなければならず、低位のすべての顕現形態を修得し支配し、形成のデーヴァが働く規定を学ばなければならない。
イニシエーション前の神秘家の道を見習いの道という言葉で表現してもよいであろう。
秘教徒は、太陽系の物質を賢明に操作できるようになる前に、小宇宙を支配する法則を学び終えていなければならない。
秘教の道にあるのが自然であったとしても、秘教の法則の道に安全に踏み出せるようになる前に、自分自身の存在内の神を見出さなければならない。
神秘家は情緒から直観、そしてそこからモナドつまり霊を目指すよう努める。
秘教徒は物質界からメンタル、そしてそこからアートマつまり霊を目指す。
一方は愛の線に沿って働き、もう一方は意志の線に沿って働く。
神秘家は、知的意志の活用を通して全体を統合していない限り、自らの存在目的――活動に表わされる愛という目的――の達成に失敗する。
そのため、彼は秘教徒にならなければならないのである。
秘教徒も、自らが行おうとするすべてのことへの十分な動機を与える生き生きとした愛によって意志と知識の目的を見出していないならば、彼もまた失敗し、知性を通して働くパワーの単なる利己的典型になってしまう。