研究と大学教員という位置づけ | 大学という斜陽産業

研究と大学教員という位置づけ

GWに入った。講義等がないので、(家族サービス等をのぞき)比較的まとまった時間がとれる貴重な期間である。このGWは、(内容はともかく)研究に大半を充てようと思う。だって、大学教員の仕事の一つに研究があるのだから。


しかし、大学教員にとって研究は非常に重要な仕事だと思うのだが、果たしてそれがどれだけ認知されているのかは、常日頃疑問に感じている。「おまえは、三流どころか五流ですらないのだから、研究者には値しないだろ!」とい突っ込みはきちんと受け止めますが。


実際、大学での位置づけも教育職員であって、研究職員ではない。だから、大学から支払われている給与は、研究への対価ではなく、教育やその他の行政・管理業務等(いわゆる雑務)に対するものだといわれたりもする。


以前の勤務先で、自己点検・評価の際、若手の教員の研究時間の確保をと訴えたら、(その大学の置かれている状況もあるだろうが)研究は、教育等の仕事をきちんとして、残った時間にするものだ、と言われたことがある。


幸いにして今の勤務先ではそこまで言われず、研究もきちんとすべき雰囲気があるので、周りの大半は(その評価はよくわからないが)きちんと研究しているようである。(まあ、実際、研究しなくても教育をきちんとしてくれれば、周りには迷惑がかからないので良いが、そういう人に限って教育もいい加減だったりするので困るのだが。)そして、それをきちんと評価しようという体制になっている。


はてさて、それにどれだけ応えられるかは定かではないが、研究にいそしむこととしよう。そして気分転換にこのブログに書き込むことにしよう。