無責任体制~経営の視点 | 大学という斜陽産業

無責任体制~経営の視点

ライブドアによるニッポン放送の買収劇は、会社は誰のものであるのかという問題を改めて日本社会に問いかけている、という意見が見られる。そこで考えさせられるのは、大学は誰のものか、ということである。

とはいえ、ここでこの問に直接答える訳ではないが、会社の統治体制、最近の用語法で言えばコーポレート・ガバナンスに相当する観点から、大学経営をちょっとだけ考えてみたい(たまには真面目な問題も考えてみたい)。

結論的に言えば、私学の理事(経営者)は責任を問われる体制になっていない。にもかかわらず、近年の大学改革は、理事側に大きな権力をさらに与えようとしているのである。

株式会社であれば、経営者(取締役)の選任は株主総会によって行われる。もし、無能と判断されれば、(任期途中での解任もあって然るべきだが)再任はされない。ただ、日本の場合、これまでは株式の持ち合いなどを通じて、けっこう馴れ合い的な経営が行われていたりしたので、正しくこの機能が働いていたかは疑問だが、仕組みだけは整っていたといえるだろう。

大学は年度末であり、新年度に向けて予算やなにやらと色々と動き出しているが、その一方で、一年の総括もしなければならない。まあ、総括といってもそんなに組織だってやっているとは限らないが。しかし、この時期一番の問題は、なんと言っても新入生の確保である。以前も書いたが、大学の教員・事務職員にとっての食い扶持の確保である。

現場レベルでは当然、日々色々な意思決定が行われるが、大学組織のトップの決断やリーダーシップが必要な意思決定の一例が、組織の改編である。その代表が、新学部の設立や、既存の学部の改組転換である。

一部の、もしくは多くの大学では、新入生の確保のため、あれこれと方法を考えているのだが、その1つにこの新学部設立等がある。勤務先もそうだ。しかし、これが結構奮わない。設立初年度は物珍しさもあって、そこそこ受験生を集めたりするのだが、2年目以降、受験生が集まらない。もちろん成功しているところもあるのだが、自分の所はどちらかといえば、失敗だろう(法科大学院も同じような感じらしい)。

この新学部設立の際の根拠付けは、まるで道路公団による交通需要予測のようなもので、てんで当たったためしがない。いや、もっとひどいかもしれない。だって、マーケティングのような市場調査を行ったりすることは少ないのだから。

そして不思議なことに、この失敗に対して誰も責任を問われないのである。場合によっては、そのときの責任者が、慣例に従ってさらに昇進していたりするのである。そしてその失敗は現場に押しつけられることになる。学部の予算の削減、人員の削減、賃金の削減などなど。そして現場はまた一つやる気を失うのである。

じゃあ、教員は責任感が強いのか?ってきかれても答えに窮します。だって、以前書いた(合否判定の謎)ようなこともありますので。