「手のかからない子」から「手のかかる子」へ
可愛らしくて、愛想がよくて、手のかからない子。
そんな子がいつのまにか、
親の思い通りには動かない、
手のかかる子に変身してしまうことがある。
小学生の時代はなんの問題もなかった。
親にとっては本当に「良い子」だったのに、
中学生、高校生になって、
大きく荒れてしまったケースをいくつか知っている。
発達に遅れや凸凹のある子どもの場合、
親は定型発達の子ども以上に、その子を守ろうとしてしまう。
年齢が低いときには子ども自身も、
守られている安心感で心地よい時を過ごす。
でも、子どもは成長していく。
言葉はなくても、理解力はなさそうでも、
子どもは成長して、「ボク」「ワタシ」という自意識を育てていく。
それに対して、発達の遅れや凸凹が大きければ大きいほど、
親は守りすぎてしまう。
本人の気持ちがどこにあるか、
丁寧に確かめることをしないで、
「この方がいいに決まっている」という親の思いを先行させてしまう。
子どもの成長と「守らなければ」という親の強い思いのすれ違いから、
なにかのきっかけでバランスが崩れ、
自意識が噴出して、手のかかる子への変身がはじまる。
私の知るいくつかのケースでは、
親(子どもにとっては祖父母)の介護がきっかけになっていた。
そして、
問題行動が起こると、どうしてもその問題行動に意識が向かう。
「困ったことになった」
「こんな子ではなかったのに、豹変してしまった」
でも、問題行動が起こってきた時が、
子どもの心に近づくチャンスかもしれない。
子どもは子どもで右往左往しながら生きている。
そんな子どもの「生」をねぎらってあげたいと思う。
問題行動は子どもの心に近づくチャンスなんだよ、きっと。
親として、縁があって身近にいる大人として、
精一杯、オロオロしながら寄り添いたいと思う。