「手のかからない子」から「手のかかる子」へ | 不登校の子ども、障がいのある子どもの学びの場☆スペース海

「手のかからない子」から「手のかかる子」へ

可愛らしくて、愛想がよくて、手のかからない子。

そんな子がいつのまにか、

親の思い通りには動かない、

手のかかる子に変身してしまうことがある。



小学生の時代はなんの問題もなかった。

親にとっては本当に「良い子」だったのに、

中学生、高校生になって、

大きく荒れてしまったケースをいくつか知っている。



発達に遅れや凸凹のある子どもの場合、

親は定型発達の子ども以上に、その子を守ろうとしてしまう。

年齢が低いときには子ども自身も、

守られている安心感で心地よい時を過ごす。



でも、子どもは成長していく。

言葉はなくても、理解力はなさそうでも、

子どもは成長して、「ボク」「ワタシ」という自意識を育てていく。



それに対して、発達の遅れや凸凹が大きければ大きいほど、

親は守りすぎてしまう。

本人の気持ちがどこにあるか、

丁寧に確かめることをしないで、

「この方がいいに決まっている」という親の思いを先行させてしまう。



子どもの成長と「守らなければ」という親の強い思いのすれ違いから、

なにかのきっかけでバランスが崩れ、

自意識が噴出して、手のかかる子への変身がはじまる。



私の知るいくつかのケースでは、

親(子どもにとっては祖父母)の介護がきっかけになっていた。



そして、


問題行動が起こると、どうしてもその問題行動に意識が向かう。

「困ったことになった」

「こんな子ではなかったのに、豹変してしまった」



でも、問題行動が起こってきた時が、

子どもの心に近づくチャンスかもしれない。



子どもは子どもで右往左往しながら生きている。

そんな子どもの「生」をねぎらってあげたいと思う。



問題行動は子どもの心に近づくチャンスなんだよ、きっと。

親として、縁があって身近にいる大人として、

精一杯、オロオロしながら寄り添いたいと思う。