1914年に実際に起きた出来事から,今日のお話を始めたいと思います。それは,世界第一次大戦のまっただ中に起きた出来事です。ヨーロッパでは,激しい戦闘が行われていました。

 

 

 

敵国であったイギリスとドイツの間でも,それぞれの国の兵士が,多くの犠牲者を出しながら,戦闘を続けていました。

 

 

 

そのような中,ある出来事が,イギリス軍とドイツ軍との間に起きました。それはクリスマスの朝のことでした。

 

 

 

イギリス軍が全員,ドイツ軍の攻撃に備えていた時,ドイツ軍の方から,ある声が聞こえてきたそうです。

 

 

 

それは「メリー・クリスマス」という声でした。

 

 

 

イギリス軍は皆,驚きであぜんとしたのですが,イギリス軍の1人が「こちらからも,メリー・クリスマス」と声を返したのです。

 

 

 

すると,ドイツ軍の1人が,イギリス軍の方へと,近づいてきたのでした。イギリス人の中から,「おい,撃つなよ」という声が上がりました。

 

 

 

すると,ドイツ軍の兵士が,1人,また1人と立ち上がり,イギリス軍の方へと近づいてきたのです。

 

 

 

「ひょっとすると,罠か?」と疑ったイギリス軍でしたが,数名のドイツ兵の内1人はお酒を頭の上で振っています。

 

 

 

そして,「今日はクリスマスだ。こっちには酒やソーセージがある。一緒にやらないか。」と言ったのです。

 

 

 

近づいてきたドイツ兵は,誰も銃などを持っていませんでした。

 

 

 

イギリス兵も,1人,また1人と,ドイツ兵に近づいていったのです。

 

 

 

そう,第一次世界大戦中,互いを攻撃していた戦士が,クリスマスだけ,休戦をしようではないか,ということになったのです。

 

 

 

ドイツ兵とイギリス兵は言葉を交わしました。武器ではなく,言葉を交わしたのは,おそらく初めてのことだったのではないでしょうか。

 

 

 

互いに自己紹介をしました。「私はデュッセルドルフで生まれた。仕事はチェロ弾きだ。」,「私はイギリスの南西部の出身で,教師をしている。」

 

 

 

ドイツ兵とイギリス兵は,ドイツ兵が持ってきたソーセージを食べ,イギリス兵が持ってきた酒を飲みました。そして,互いに,普段の生活,趣味,そして家族について,話をしたのです。

 

 

 

ドイツ兵とイギリス兵は,もう全員が,それまで弾が飛び交っていた場所で,一緒に食事をし,酒を飲んでいます。

 

 

 

その内,誰かが持っていたサッカーボールで,ドイツ対イギリスの試合が始まりました。試合は2対1でドイツが勝ったのですが,ドイツ兵はイギリス兵に,「イギリスのゴールの方が,ドイツのゴールよりも広かった。公平ではなかったね。」と慰めたそうです。

 

 

 

そのような時が過ぎ,クリスマスの日は終わろうとしていました。ドイツ兵とイギリス兵は互いに,「この戦争が終わり,ここにいる全員が故郷に帰れるといいな」と言って,自分の軍の所に戻っていったのです。

 

 

 

クリスマスの夜,それぞれの軍の所に戻ったドイツ軍とイギリス軍は,歌を歌いました。ドイツ軍は,ドイツ語で「クリスマスキャロル」を歌いました。イギリス軍は,英語で「羊飼いたちが」を歌いました。

 

 

 

そのようにして,クリスマスの夜は過ぎていったのです。

 

 

 

 

 

 

イギリス人の,マイケル・モーパーゴ著『世界で一番の贈りもの』(評論社,2005年)には,この日のことが絵本として描かれています。

 

 

 

その絵本では,イギリス軍の将校が,その日のことを,妻に手紙で伝えます。将校は,次のように書いています。

 

 

 

「つかのまとはいえ,思いやりに満ちた,心温まる時間が持てた。かけがえのない一生の宝物,そんなひとときだった。

 

 

 

いとしいコニー。来年のクリスマスには,この戦争も,ただの遠い思い出話になっていることだろう。

 

 

 

今日のできごとで,どちらの軍の兵士も,どんなに平和を願っているかがよく解った。

 

 

 

きみのもとに帰れる日が,もうすぐくる。私は,そう信じている。

 

 

 

愛をこめて。」

 

 

 

でも絵本では,その後,将校は戻らず,手紙だけが,とても後になって,妻の手に届く様子が描かれているのです。

 

 

 

クリスマスの日,1日だけ戦争をしない日を設けたドイツ軍とイギリス軍ですが,おそらくその後,多くの兵士が,その命を失ったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

クリスマスになると,世界中でモミの木に飾り付けがされて街を彩りますね。そのモミの木のクリスマスツリーに関する,最古の記録が残されているのが,フランスのアルザス地方です。アルザス地方は,フランスの東部,ドイツとの国境沿いに位置する地域です。

 

 

 

アルザス地方の方々にとっても,クリスマスはとても大切なイベントです。クリスマスになると,アルザスの街では,クリスマス市をはじめとする,さまざまなイベントが行われるのです。アルザスの街全体を,美しく彩られたモミの木のクリスマスツリーが飾ります。

 

 

 

 

そのアルザス地方のご出身なのが,ノーベル平和賞を受賞されたシュヴァイツァー博士(1875-1965)です。シュヴァイツァー博士は,30歳の時に人生を医療と伝道にささげることを決意して,その生涯をアフリカでの医療活動にささげた方です。

 

 

 

シュヴァイツァー博士は,マザー・テレサやガンジーなどと並び,ヒューマニストとしての思想で知られた方でもあります。その活動が評価されて,1952年にノーベル平和賞を受賞されています。

 

 

 

実は,現在はフランス領であるアルザス地方ですが,良質の石炭と鉄が取れたことから,フランスとドイツとの間で常に領土紛争にまきこまれてきた土地でもあります。

 

 

 

シュヴァイツァー博士が生まれた時は,アルザス地方はまだドイツ領でした。そしてシュヴァイツァー博士は,その特有の土地柄も反映して,ドイツ語とフランス語の両方に堪能だったと言われています。

 

 

 

現在ではフランス領であるアルザス地方。フランスとドイツとの間で長く争われてきた領土問題は,現在では平和的に解決されており,その歴史はEUの登場を促す一つのきっかけとなっているように感じます。アルザス地方の問題は,「国」という存在に人々が固執することが,どんな不幸をもたらすかを教えてくれている気がするからです。

 

 

 

そのアルザス地方で生まれ育ったシュヴァイツァー博士ご自身も,ドイツ領としてのアルザスに生まれたことよりも,むしろ「アルザス人」であること自体を誇りにされていた,と聞いております。

 

 

 

「国」という存在を超えて,はるか遠くのアフリカで「人」を救おうとしたシュヴァイツァー博士。アフリカでの活動も,やはり「国境」というものなど気にしない,広範囲にわたるものでした。第二次世界大戦中も,「ドイツ出身」であったにもかかわらず,シュヴァイツァー博士の診療所だけは攻撃を行ってはならないと,連合軍では命令が出されていたのです。

 

 

 

シュヴァイツァー博士の活動はまさにヒューマニズムの発現であり,ノーベル平和賞はそのことを理由として与えられたものです。その思想は,まさにアルザス地方で育まれたといえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

アルザス地方を起源とするモミの木のクリスマスツリー。クリスマスイルミネーションで彩られたツリーは,喜びと悲しみに満ちた私達の人生を応援してくれているかのように,温かい光を放っています。

 

 

 

あわただしい生活の中でつい忘れてしまいそうになる大切なこと。目には見えないとても大切なこと。私達は何よりも人であることで共通し,同じ時代を生きているのだということ。何よりも大切なことは,人に対する思いやりなのだということ。

 

 

 

イギリスのEUからの離脱を求める国民投票の結果や,アメリカの大統領選挙での様子を見ると,ナショナリズムの求めが21世紀の現在においても激しさを増していることを感じることができます。

 

 

 

でも,国境など本当は地球上には書かれていないのです。それは,人が統治のために頭の中で描いたフィクションにすぎません。それが証拠に,サンタクロースは国境線など関係なく,世界中の子供たちにプレゼントと優しい心を贈りに来てくれるではありませんか。

 

 

 

クリスマスは,そんな大切なことを思い出させてくれるとても貴重な日なのかもしれません。みなさんが素敵なクリスマスを過ごされることをお祈りしています。メリー・クリスマス。