私が担当させていただく予定の憲法訴訟があります。公立女子大学に男性の受験を認めないことが,性別による差別を禁止した憲法14条1項などに違反することが争点となる裁判です。



その裁判については,山陽新聞,共同通信,朝日新聞などにおいて取り上げていただきました。



朝日新聞の記事では,津田塾大学の津田塾大の武田万里子教授(憲法学)のお話として,「女性が少ない分野に女性を増やすという目的の学部であれば,女性だけに受験資格を認める対応を『積極的な差別是正措置』として一時的に認められてもいいかもしれない。だが,栄養士といった女性も多い分野の場合,合憲性への疑いが生じる可能性もある。」とのコメントも掲載されていました。






その3社による報道を受けて,TV朝日でお昼に放送している番組「ワイド!スクランブル」で,この公立女子大訴訟を取り上げていただいたのです。



報道が流れた後すぐにTV番組が放送されたことから,訴訟を紹介してくださるだけなのかな,と思っていたのですが,多くの時間を取って,非常に興味深い解説をしてくださっていました。



その番組の中で,私にとって最も印象的だったのは,街の人々の声が紹介された場面でした。



インタビュアーの方が,街行く人に紹介された後で,その感想を聞かれていたのです。



街行く人々は,最初は「なぜ?」という疑問の態度を示される方が多かったのですが,少しずつ訴訟の内容を聞くと,次第にその訴えの内容について,共感される方が多くなったのです。番組では,これも時間を取って,説明を受けた後は訴えに理解を示した人が多くなったことを解説されていました。



私がこのシーンが印象的だったのは,その街行く人々の態度の変化が,「人権」という概念を思い出させるものだったからです。



元々,人権が保障されるとは,「社会では多数決で決めることができないことがある」ということを意味します。



多数派がどんなに有益な目的であると考えたとしても,それを少数派の方に対して,手段として強制することができない,ということです。



その意味で人権問題とは,その性質上,多数派の立場の方々からは,すぐには理解しづらい一面を持つのです。



でもそれこそが人権でありまして,その人権を守るために制定されたのが憲法であります。



憲法は社会において最高の効力を有する法です。その法に反する法律は許されないのです。それがつまり,上で申したように,どんなに多数決で法律が制定されたとしても,それを少数派の人達に強制することが許されない,ということを意味することなのです。



番組で流れたインタビューと,そのインタビューを受けた街行く人々の態度の変化は,そのような人権概念の基礎そのものを思い起こさせてくれるような内容でした。






実は,この「男性であることを理由に女子大学に入学させないことは法の下の平等を定めた憲法に反しないのか」という問題は,アメリカ連邦最高裁判所で既に判決が出ているのです。ミシシッピ州立大学看護学校についての1982年アメリカ連邦最高裁判所の判決です。



番組では,その判決が紹介された後で,スタジオの方々がそれぞれのお考えをコメントされていました。



そして,スタジオで解説をされていた弁護士の方が「違憲判決が出る可能性はある。注目したい。」とコメントをしてくださったことが,印象に残りました。






この問題につきましては,アメリカでは上でご紹介した違憲判決が出されていますが,日本ではまだ裁判所の判決が一度も出されたことがないのです。まだ判例のない問題なのです。 



それはつまり,この裁判について日本の裁判所でどのような判決が出されるのかは,誰にも分からない,ということです。



私達に分かっていることは,私たちの憲法14条1項には,「すべて国民は,法の下に平等であって,人種,信条,性別,社会的身分または門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定されている,ということだけなのです。



活字としての憲法に意味が与えられるのは,これからです。